大月防空監視哨
大月駅近く、大月中央病院の裏山には防空監視哨跡が残っている。
昭和17年、本土初空襲後に防空監視隊が組織され、大月監視隊本部は昭和18年暮れに移転してきた。
監視哨は、哨長と監視員9名で編成され、3交代で監視にあたっていた。
昼間は2名で監視し、夜間は1名が監視、もう1名が聴音監視を行っていた。(案内板より抜粋)
大月中央病院の裏に登り口がある。古い案内には「むすび山」、新しい案内には「おむすび山」となっている。大月観光協会におむすび山と問い合わせたら「おむすび山じゃなく、むすび山」と強く訂正された。
舗装された道路は民家の前で終わっているが、そのまま民家の前から登って行くと、細い山道になる。
登山口の案内から10分程度で山頂に着く。そこには聴音壕の竪穴があるが予想以上に小さく、直径4m、深さ1.5m程である。
さて、防空監視哨であるが、甲府、大月、南部に監視隊本部が置かれ、それぞれ15、10、7の監視哨があり、大月監視隊の傘下には、大月、丹波、西原、上野原、七保、笹子、谷村、吉田、精進、河口の監視哨があった様だが、詳細は不明である。
この監視哨は大月駅から歩いても1時間で行って帰れる。しかし、冬場以外の訪問はお勧めしない。
大月防空監視哨の登り口はこちら
昭和17年、本土初空襲後に防空監視隊が組織され、大月監視隊本部は昭和18年暮れに移転してきた。
監視哨は、哨長と監視員9名で編成され、3交代で監視にあたっていた。
昼間は2名で監視し、夜間は1名が監視、もう1名が聴音監視を行っていた。(案内板より抜粋)



さて、防空監視哨であるが、甲府、大月、南部に監視隊本部が置かれ、それぞれ15、10、7の監視哨があり、大月監視隊の傘下には、大月、丹波、西原、上野原、七保、笹子、谷村、吉田、精進、河口の監視哨があった様だが、詳細は不明である。
この監視哨は大月駅から歩いても1時間で行って帰れる。しかし、冬場以外の訪問はお勧めしない。
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