由良の軍橋
今までも紹介してきたが、由良周辺には多くの軍橋(レンガ橋)が残っている。
当時のままの姿で残っている物もあるが、そのほとんどが改修されて車道となっていて、川に降りないとレンガ橋である事が確認できなくなっている橋もある。実際に気付かないだけで、まだまだ多くのレンガ橋が残っていると思う。

婦の川下流にあるレンガ橋
こちらにもレンガ橋が残っている。
橋には「大谷川下軍橋」と彫られている。

これは以前紹介した、鳴門要塞司令部近くの鳰谷川軍橋。
この様に橋自体(この名前が彫られている部分を地覆(じふく)と言うらしい)に名前を彫るのは、対岸の深山地区にもあるらしい。
今回、由良再訪にあたって、地元洲本市在住の歴史研究家S氏にご案内していただいた。
これも何度も通っていたが見逃していたレンガ橋。
そして、レンガ橋の近くには「宮川軍橋」と彫られた地覆が残っている。
これはどの文献にも発表されておらず、これが初公開と思われる。
この地覆には金属製の手摺が残っている。
さて、この手摺であるが、実は全く同じ形状の手摺がいくつかの遺構に残っている。

観音崎第2砲台観測所の手摺
こちらは大久野島電燈所の手摺
この事からも、当時の手摺と判断する。
多くの遺構で金属が無理矢理に取り外された痕跡が残っているが、他の軍橋にはその形跡が無いため、宮川軍橋だけ手摺が有って、それ以外には無かったのではないだろうか?
当時のままの姿で残っている物もあるが、そのほとんどが改修されて車道となっていて、川に降りないとレンガ橋である事が確認できなくなっている橋もある。実際に気付かないだけで、まだまだ多くのレンガ橋が残っていると思う。

婦の川下流にあるレンガ橋



これは以前紹介した、鳴門要塞司令部近くの鳰谷川軍橋。
この様に橋自体(この名前が彫られている部分を地覆(じふく)と言うらしい)に名前を彫るのは、対岸の深山地区にもあるらしい。

これも何度も通っていたが見逃していたレンガ橋。

これはどの文献にも発表されておらず、これが初公開と思われる。

さて、この手摺であるが、実は全く同じ形状の手摺がいくつかの遺構に残っている。

観音崎第2砲台観測所の手摺

この事からも、当時の手摺と判断する。
多くの遺構で金属が無理矢理に取り外された痕跡が残っているが、他の軍橋にはその形跡が無いため、宮川軍橋だけ手摺が有って、それ以外には無かったのではないだろうか?
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