姫路海軍航空隊その1 

6月27日、「旧姫路海軍航空隊 鶉野平和祈念の碑苑保存会」(以下、保存会)会員の方の御好意により、兵庫県加西市に残る姫路海軍航空隊の遺構を案内して頂いた。
姫路海軍航空隊は所在地から、別名「鶉野(うずらの)飛行場」とも言われている。
保存会は平和記念碑の保存だけでなく、飛行場周辺の遺構の調査も行っている。
当日は梅雨の真っ只中であり、前日も深夜まで大雨が降っていてフィールドコンディションは良くない。

姫路海軍航空隊は、川西航空機姫路工場の搬出入用の滑走路として、未完成ながら整備が進行中だった姫路飛行場に訓練部隊を設置することにした。(wikipediaより抜粋)

鶉野 (26)
旧滑走路
姫路空には1200m×60mのコンクリートで舗装された滑走路と、1500m×60mの転圧の滑走路が2本あった。

鶉野 (25)
滑走路の脇には平和祈念の碑が建てられている。平成11年10月9日除幕。

鶉野(31)
飛行場を整地した転圧ローラーが展示されている。

鶉野 (24)
以前はここに製造年が皇紀で書かれている水道管が展示してあったが、昨年何者かによって持ち去られた。
実は上記のローラーの握り手も有ったのだが、それも持って行かれている。
それどころか、慰霊碑の錨マークも盗難にあった事があるそうで、保存会の人も悲しんでいた。
もし、このブログを見ていたら絶対に返してもらいたい。

鶉野 (22)
旧エプロン。当時のコンクリートが残っている。
この姫路航空隊からも特攻隊が編成されている。
姫路城の別名「白鷺城」から、どの隊も白鷺の名が付けられ、第1~3護皇白鷺(はくろ)隊、白鷺赤忠隊、白鷺揚武隊、白鷺誠忠隊の6隊が鹿児島県串良基地に移動後、菊水作戦発令で出撃した。

鶉野 (23)
このサイロ付近で最後の別れをして特攻隊が出撃して行ったそうだ。

鶉野 (21)
エプロンの近くにある戦闘指揮所。

鶉野 (20)
退避壕入口
木更津の退避壕とは違い、出入口からL字に曲がっていて爆風や機銃弾を避けるようになっている様だ。
また、故意か?、それとも雨水が溜まってしまったのか?、戦闘指揮所は冠水してしまっている。この指揮所も土に埋められていたのだろうが、現在は露出している。

鶉野 (4)
旧軍遺構ではないが、飛行場近くにある法華口駅。当時はここから飛行場に引き込み線があった。
駅舎は大正4年(1915年)に建てられたもので、当時の面影を残している。
最後の面会をしに、この駅に降り立った家族もいたのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。

鶉野 (3)
この駅名板は、現在の「ほっけぐち」の下に、以前書かれていた「ちぐけっほ」の文字が見える。
なお、隣の駅も現在の「たはら」ではなく「あびき」と書かれている。

鶉野
法華口駅の近くには、「昭和20年3月31日 列車転覆事故殉難の地」の案内板がある。
案内板によると、戦争末期の昭和20年3月31日、川西航空機工場で製作し、試験飛行中だった戦闘機 紫電改のエンジンが停止、不時着をしようとしたが尾輪が線路を引っ掛けてしまい、ずれてしまった。
そこに列車が進入してきて脱線転覆折損、死者12名(パイロットも含む)、重軽傷者104名を出す大惨事となった。
現場は、一本目の電柱(道が曲がっている所)と2本目の電柱の間付近。
この事故は戦時中は秘匿された。
つづく
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プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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Twitter始めました。@Kanreport0726

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