大阪陸軍兵器支廠本部門柱

大阪城の南西には大阪陸軍兵器支廠本部門柱とレンガ塀が残っており、内部は大阪城公園城内詰所として使われている。
大阪陸軍兵器支廠は、兵器や兵器資材の保管修理を行っていて、西の丸公園一帯の15万㎡に多くの倉庫があったが、現在はこの門柱とレンガ塀しか残っていない。
この遺構の詳細は不明だが、大正初期に建てられたと推測する。
また、「旧軍史跡」には大阪衛戍監獄・大阪陸軍刑務所と記載されているが、いつも参考にさせていただいている「大日本者神國也」さんは、その様な史実は見つかっておらず、明確な資料をご存知あれば御教示下さい。と言われている。

大阪陸軍兵器支廠本部門柱その2 (3)
門柱を正面から見る。

大阪陸軍兵器支廠本部門柱その2 (4)
向かって左の門柱。通用口がある。

大阪陸軍兵器支廠本部門柱 (7)
こちらは右側の門柱

大阪陸軍兵器支廠本部門柱 (6)
表札を掛けるフックが残っている。

大阪陸軍兵器支廠本部門柱 (1)
レンガ塀の様子

大阪陸軍兵器支廠本部門柱その2 (2)
状態は良い。

大阪陸軍兵器支廠本部門柱その2 (1)
石垣とレンガ塀の接続部分

大阪陸軍兵器支廠本部門柱 (3)
反対の接続部分

大阪陸軍兵器支廠本部門柱の場所はこちら
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大阪城内に残る境界石 その2

大阪城京橋口の入り口にも境界石が残っている。
場所的に細かい施設の境界を示すと言うよりは、大阪城全体の陸軍用地を示す物ではないだろうか?
この境界石の場所がオリジナルならば、内堀も陸軍用地に入っていたと思われる。(松山や丸亀は内堀の内側に境界石がある。)

大阪城内に残る境界石 その2 (1)
逆光で見難いが、陸軍用地である。

大阪城内に残る境界石 その2 (2)
頂部には×印がある。

大阪城内に残る境界石 その2の場所はこちら

大阪偕行社

大阪市中央区大手前にある追手門学院大大手前中学校の校門は、大阪偕行社の門柱を使っている。
偕行社とは、陸軍将校の集会所・社交場(将校倶楽部)や皇族の迎賓館として設立された。
個人的な認識だが偕行社は師団所在地に作られ、現存する偕行社は、旭川(第7師団)、弘前(第8師団)、金沢(第9師団)、善通寺(第11師団)岡山(第17師団)しか残ってない。(はず)

大阪偕行者 (5)
偕行社の門を正面から見る。

大阪偕行者 (4)
門の全景

大阪偕行者 (3)
右の門柱 塀を取り壊して通用口を作ったのだろうか?

大阪偕行者 (2)
こちらは左の門柱

大阪偕行者 (1)
校内に残る、明治天皇駐蹕之處の碑 学校関係者の御厚意で見せて頂いた。
普段は非公開なので御注意を!
小生浅学の為知らなかったが、駐蹕(ちゅうひつ)とは、行幸の途中、一時乗り物をとめること。だそうである。
大正14年5月 大阪市青年連合団建立

大阪偕行者 (8)
学校周辺には、当時の石積みとレンガと思われる物が残る。

大阪偕行者 (7)
当時の物と思われる塀の支柱。これを見るとレンガ塀は壊されて低くなっていると思われる。

大阪偕行者 (9)
当時の物と思われる石積み。そこには、

大阪偕行者 (6)
陸軍の境界石が残っている。

大阪偕行社門柱の場所はこちら

大阪城内に残る境界石

大阪城玉造口には陸軍の境界石が残っている。
この境界石は大阪砲兵工廠のものと思われる。
今回も恥ずかしながら、大日本者神國也さんの地図を参考にさせて頂いた。
詳細は不明だが、大正初期のものだろうか?

大阪城境界石 (1)
陸軍省用まで見える。

大阪城境界石 (4)
裏面は、34だと思われる。

大阪城境界石 (2)
境界石の背面には、コンクリ塀らしき物があり、鉄筋が残っている。

大阪城境界石 (5)
境界石の背後には石柱があり

大阪城境界石 (6)
是ヨリ壕迄と書かれている。濠ではなく壕なのは何を意味しているのか?

大阪城境界石 (3)
この先が玉造口であり、天守閣に向かう。

大阪城内に残る境界石の場所はこちら

騎兵第4連隊

以前、堺市に残る騎兵第4連隊の遺構を紹介したが、元々は現在の真田山公園に兵営があった。き
騎兵第4連隊は、明治22年に2個中隊からなる大隊として、この地に兵営を置いた。
戦歴としては日清戦争が最初で、戦争終結後に連隊へと昇格し、明治29年11月に軍旗を拝受した。
日露戦争では、金洲、南山等の戦闘に続いて遼陽会戦、沙河会戦を経て、奉天会戦を戦った。
その後、しばらくはこの地を衛戍地としたが、狭隘のために昭和7年に堺に移転した。
連隊移転後は、大阪市に払い下げられたので、現在残る遺構は騎兵第4連隊の物で間違いないだろう。
今回も、「大日本者神國也」さんを参考にした。

真田山公園 騎4 (6)
兵営跡の一角に記念碑が残っている。

騎兵営城址
下段には「騎兵営址」と書かれており、裏面には、昭和8年11月 騎兵将卒建立と書かれている。

真田山公園 騎4 (8)
中段のレリーフ これは、この碑が建てられた当時の物と思われる。

真田山公園 騎4 (10)
上段の「忠魂」の碑 これは裏面に昭和28年4月に増築と書かれている。

真田山公園 騎4 (2)
記念碑のすぐ横には、「陸軍省所轄地」の境界石がある。

真田山公園 騎4 (5)
境界石のアップ 字体、境界石の大きさなどから、ここに兵営を置いた当時の物と思われる。

真田山公園 騎4 (4)
境界塀と思われる。

真田山公園 騎4 (3)
もう一つの境界石 夏場だからか、それとも木が成長したからか、見難くなっている。

真田山公園 騎4
枝を掻き分けて、文字を確認。

真田山公園 騎4 (7)
兵営時代の物と思われる石垣と擁壁
真田山公園 騎4 (9)
ここでも石垣の状態が確認できる。

騎兵第4連隊記念碑の場所はこちら
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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