岡山陸軍墓地 その2
岡山陸軍墓地の特徴は、ほとんど(私が確認した限りでは全部)が昭和に入ってからの物である。
これは岡山に部隊が置かれたのが明治40年と日露戦後であり、昭和に入るまで本格的な戦闘に参加しなかったからだと思われる。(ただ、事故死や病死はあると思うのだが、遺族が引き取ったのか?)

墓地の配置図 元々は上段から将校、下士官、兵の順であったが、最下段、さらに右手方向にも兵の墓が増設された。
また、死亡時期から、同じ段でも正面向かって右手から墓が作られた様である。

兵の墓 兵の墓も下から2段目の向かって右が古く、下から2段目の左、最下段の右、左の順で新しくなっていく。
これは最下段右の墓

これは最下段左の墓

下士官の墓 下士官も同じく、右から古い墓が並ぶ。

将校の墓

最上段にある合葬碑 向かって左は、歩兵第10連隊戦病死将兵合祀之碑 昭和8年9月建立

真ん中は、満州事変忠死者之碑 昭和8年3月建立

右、工兵第10大隊戦病死将兵合祀之碑 昭和8年9月建立

元々あった墓地の右側に増設された墓 下士官兵が混同しており、ほとんどが昭和12年に亡くなった者の墓である。

かなり狭く建てられている。兵と下士官では墓石の大きさに違いがある。
これは岡山に部隊が置かれたのが明治40年と日露戦後であり、昭和に入るまで本格的な戦闘に参加しなかったからだと思われる。(ただ、事故死や病死はあると思うのだが、遺族が引き取ったのか?)

墓地の配置図 元々は上段から将校、下士官、兵の順であったが、最下段、さらに右手方向にも兵の墓が増設された。
また、死亡時期から、同じ段でも正面向かって右手から墓が作られた様である。

兵の墓 兵の墓も下から2段目の向かって右が古く、下から2段目の左、最下段の右、左の順で新しくなっていく。
これは最下段右の墓

これは最下段左の墓

下士官の墓 下士官も同じく、右から古い墓が並ぶ。

将校の墓

最上段にある合葬碑 向かって左は、歩兵第10連隊戦病死将兵合祀之碑 昭和8年9月建立

真ん中は、満州事変忠死者之碑 昭和8年3月建立

右、工兵第10大隊戦病死将兵合祀之碑 昭和8年9月建立

元々あった墓地の右側に増設された墓 下士官兵が混同しており、ほとんどが昭和12年に亡くなった者の墓である。

かなり狭く建てられている。兵と下士官では墓石の大きさに違いがある。
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