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失われた遺構 第3海堡の地下通路と波消しブロック

第3海堡の撤去中の平成18年夏に引き上げた遺構の特別公開が行われた。
見学時には「これらの構造物は漁礁とするため海に沈めるので、最後の見学になる。」と言われたが。前述のとおり、観測所、砲側弾庫、探照灯庫は保存されることとなった。
しかし、地下通路と波消しブロックは保存されなかった。これらがどうなったか定かではないが、海没されたと思われる。

第3海堡地下通路 (1)
地下通路、観測所に通じる通路であった。

第3海堡地下通路 (2)
内部の様子

第3海堡地下通路 (3)
上部には階段がある。

第3海堡ケーソン (1)
波消しブロック、第3海堡建造では、風浪により困難を極めたらしく、多くの波消しブロックが使われたそうである。

第3海堡ケーソン (2)
反対側。説明ではケーソンと言っていたが、ケーソンを調べるとちょっと意味が違う感じなので、波消しブロックとした。
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夏島都市緑地に保存されている第3海堡の探照灯庫

さらに探照灯庫も展示されている。

 第3海堡 探照灯庫 (13)
探照灯庫の全景 探照灯庫は読んで字の如く探照灯を格納する場所であり、使用する際は引き出して使う。

 第3海堡 探照灯庫 (4)
反対側から見る。真ん中の飛び出している部分が電灯井である。

 第3海堡 探照灯庫 (7)
真ん中に大きな開口部があるため、こちらが背面と判断するが詳細は不明

 第3海堡 探照灯庫 (8)
横から見る。

 第3海堡 探照灯庫 (1)
探照灯移動用のレールの跡がある。

 第3海堡 探照灯庫 (2)
レール

 第3海堡 探照灯庫 (3)
排水路

 第3海堡 探照灯庫 (5)
電灯井部分のアップ

 第3海堡 探照灯庫 (6)
台座のアップ

 第3海堡 探照灯庫 (9)
通路部分 天井の穴は引き上げる際に開けられたもの。

 第3海堡 探照灯庫 (11)
上部へ上がる階段

 第3海堡 探照灯庫 (12)
上部の様子

 第3海堡 探照灯庫 (10)
この穴は引き上げる際に開けられたものである。

夏島都市緑地に保存されている第3海堡の砲側弾庫

夏島都市緑地には、観測所のほかに砲側弾庫も保存展示されている。

第3海堡砲側弾庫 (2)
砲側弾庫は左右対称の造りになっており、上部に小隊長位置がある。

第3海堡砲側弾庫 (9)
砲側弾庫を左後部から見る。給弾用の装置(レール?)が残る。

第3海堡砲側弾庫 (4)
時計回りに見ていく。観測所と同じく球形になっている。

第3海堡砲側弾庫 (3)
右斜め前から見る。

第3海堡砲側弾庫 (1)
こちらは右斜め後ろから。

第3海堡砲側弾庫 (7)
弾庫の内部

第3海堡砲側弾庫 (6)
給弾口

第3海堡砲側弾庫 (8)
長らく海中に浸かっていたために貝類が付着している。

夏島都市緑地に保存されている第3海堡の観測所

夏島都市緑地には海中から引き揚げた第3海堡の遺構が保存展示されている。平成12年から撤去作業が始まり、平成19年に撤去が終了した。
その最中の平成18年7月、引き上げた遺構の見学会があった時は、「これが最後の見学会で 、この後、海に沈めて漁礁とする。」と言われたが、保存を望む声が多く、国と横須賀市が協議した結果、夏島都市緑地内に観測所、砲側庫、探照灯庫が移設され、保存・公開されることとなり、毎月第1日曜(1月は5日以降の第1日曜)の1000~1600に見学することが出来る。

第3海堡観測所 (1)
敷地の外からも見える。

第3海堡観測所 (9)
外観を見る。こちら側が東京湾内部(敵が通過するであろう)側に向いていただろう。

第3海堡観測所 (10)
反対面を見る。敵弾を弾き飛ばすためだろう、球形になっているのが分かる。

第3海堡観測所 (2)
反対側から見る。入口がある。

第3海堡観測所 (3)
入口から入ると、さらに内部への入口がある。

第3海堡観測所 (4)
内部の様子。地下壕で見られる地層の様であるが、これは震災で崩れ、斜めの状態で海に浸かっていたためと思われる。

第3海堡観測所 (5)
これは明り取りの窓と思われる。

第3海堡観測所 (6)
ここが観測所で、敵の諸元を観測したのだろう。

第3海堡観測所 (7)
内部の様子

第3海堡観測所 (8)
観測所の上端

夏島都市緑地に保存されている第3海堡遺構の場所はこちら

うみかぜ公園に残る、第3海堡の兵舎

横須賀市うみかぜ公園には、第3海堡の兵舎が展示されている。
海堡とは帝都防衛の為に東京湾に人口の島を作り、そこに砲台を築き敵艦の侵入を防ぐものであった。
当時は砲の性能も良くなく、千葉、神奈川の陸岸に造った砲台では侵入してきた敵艦を撃ち漏らす可能性があったので、湾内に3つの海堡建造が計画され、第1海堡、第2海堡に続いて、第3海堡は明治25年8 ⽉に着工した。
浅瀬に造った第1、第2海堡と違い、第3海堡は水深39メートル、しかも常に海流がある場所での工事は当時、類を見ない難工事であり、当初は完成まで20年と計画されていたが、実際に完成したのは29年後の大正10年であった。(第2海堡も完成までに25年を費やしている。)
しかし、完成から2年後に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受ける。
この頃になると砲の性能も向上し海堡を維持する必要も、また、費用的に再建する必要もなく、廃止となる。
その後、長らくそのまま放置されていたが、世界一の交通量を誇る東京湾において、その交通を妨げる障害物となり、海の難所として多くの船が座礁した。
震災から77年後の平成12年に撤去作業が始まり、7年かけて撤去が終了した。
引き上げられた構造物は当初、漁礁として海没させる予定であったが、保存を望む声が多くその一部が保存が決定し、兵舎は、うみかぜ公園に展示されることとなった。

第3海堡うみかぜ 公園 (1)
兵舎正面 砲台の掩蔽部と同じ造りである。

第3海堡うみかぜ 公園 (2)
ここに置かれたすぐには入り口は塞がれてはいなかった。

第3海堡うみかぜ 公園 (8)
正面向かって左側。展示されている兵舎は凸形をしている。

第3海堡うみかぜ 公園 (7)
こちらは右側

第3海堡うみかぜ 公園 (6)
正面向かって左側面

第3海堡うみかぜ 公園 (5)
右側面

第3海堡うみかぜ 公園 (4)
以前はこちらも塞がれておらず、内部の様子を知ることができた。

第3海堡うみかぜ 公園 (3)
背面を見る。

うみかぜ公園に残る、第3海堡の兵舎の場所はこちら
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kan

Author:kan
酒とトリ貝刺と、南蛮漬けをこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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