悲報 料亭「小松」火災

神奈川県横須賀にある料亭「小松」で火災が発生した。
詳細は不明だが、ニュース映像を見る限り、ほぼ全焼と言ってよいだろう。
小松は明治18年8月、横須賀田戸の海岸沿いに開業した。日清戦争、日露戦争に勝利し、横須賀鎮守府の機能が拡大していく中で、海軍軍人相手の海軍料亭になっていった。小松を利用する海軍軍人たちは、小松の松にちなんでパインと呼ぶようになった。
第二次世界大戦時には、第四艦隊司令長官の井上成美の要請により、昭和17年から昭和19年にかけて、トラック諸島に支店が開設された。
横須賀市内に多数存在した海軍ゆかりの料亭の中で唯一営業を継続しており、大正、昭和初期の近代和風建築を今に伝えるとともに、東郷平八郎、山本五十六、米内光政らの書など、多くの日本海軍関係の資料を保有していて、料亭小松は近代日本海軍の歴史を伝える重要な存在となっている。
今回、火災にあったのは昭和8年~9年に建てられた新館と言われる建物で、横須賀鎮守府長官ら海軍高官が多く利用し、旧日本海軍の資料等が展示されている。(Wikipediaより抜粋)

料亭 小松 (3)
今回、火災にあった料亭「小松」新館

料亭 小松 (1)
大きくて全体を撮るのは難しい。

料亭 小松 (2)
もう、この建物を見ることは出来ない・・・
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小原演習砲台 その2

次に砲座と左翼観測所、及び88式海岸射撃具の観測所を紹介する。
実は小原演習砲台の配置や備砲について下調べをしていかなかったため、いまいち全容が掴めないまま探索を行ってしまった・・・
砲座は4つだと認識していたのだが、今回見た砲座はカノン砲座で、ほかに榴弾砲座があるようである。

小原台演習砲台 (11)
まず、最初に目に付くのが小隊長位置である。これは、カノン砲座の第2と第3砲座の間にある。

小原台演習砲台 (12)
砲座の様子。これは第2砲座であるが、ここが一番まともである。

小原台演習砲台 (13)
即応弾置き場があるのが判る。

小原台演習砲台 (14)
もう一つの小隊長位置。これは第3と第4砲座の間にある。

小原台演習砲台 (15)
その他の砲座は、完全なジャングル状態。

小原台演習砲台 (16)
その先に左翼観測所が見えてくる。

小原台演習砲台 (17)
反対側から見る。やはり演習砲台だからか?観測所自体は大きい。

小原台演習砲台 (18)
内部の様子。

小原台演習砲台 (19)
更に、この左にはもう一つ観測所がある。

小原台演習砲台 (20)
内部の様子。これは88式海岸射撃具の観測所だろう。

小原台演習砲台 (21)
下部には、算定具室が

小原台演習砲台 (22)
天井には潜望鏡用の物と思われる、穴が開いている。

おまけ
小原台演習砲台 (26)
グランドの片隅には、要塞地帯標がある。オリジナルの位置なのか、移設された物なのかは判らないが、ここは軍用地だったので、軍用地内に地帯標があるとは思えず、移設だと判断しているが・・・
風化が激しく、判読が困難だが「東京湾要塞第壱地帯標」と読める。

小原台演習砲台 (23)
背面には「陸軍省」と彫られている。間もなく始まる防大名物、棒倒しを見る人達が集まっている。

小原台演習砲台 (24)
左側面には、「第6号」の文字が。

小原台演習砲台 (25)
側面には、「大正15年」と読めるが、判別困難

小原演習砲台 その1

防衛大学校の敷地内には小原演習砲台の遺構が残っている。
さて、この演習砲台であるが、アジア歴史資料センターで検索すると、大正期までは小原演習砲台と、昭和に入ると小原台演習砲台との記載が見られる。
今回の題名は、当初の名称だったであろう、小原演習砲台とした。
小原演習砲台は、明治26年起工、明治28年竣工し、砲座は4つで28cm榴弾砲×2、15cmカノン砲×4であり、15cmカノン砲は後に27cmカノン砲に換装された。(学研、日本の要塞 参照)
数年前の開校祭(防衛大学の学園祭)で、砲台見学ツアーがあったと聞いて訪ねたが、今年は残念ながらなかった。

小原台演習砲台 (1)
演習砲台の大まかな場所は判っていたので、そちらに向かう。構内の外れだったので立ち入れないかと思ったが、特に立ち入り禁止にはなっていないようで、係員の方も何も言われなかった。
そのまま進むとまず、最初に砲側庫を見つけた。

小原台演習砲台 (2)
その先には案内板がある。こちらも立ち入り禁止の表示はなく、せっかくなので、お邪魔する。

小原台演習砲台 (3)
階段(?)を上ると、まず見えてくるのが右翼観測所である。

小原台演習砲台 (4)
反対側から見る。

小原台演習砲台 (5)
内部の様子。

小原台演習砲台 (6)
階段の上には監視窓がある。これは観測所と言うよりは、教官等が訓練を視察、評定するための場所ではなかろうか?

小原台演習砲台 (8)
正面の監視窓は塞がれているが、

小原台演習砲台 (7)
側面の小窓は開いている。これは、砲座の状況を見る窓ではないかと推測する。

小原台演習砲台 (9)
観測所の様子。測遠器台がきれいに残っている。これは一見の価値あり。

小原台演習砲台 (10)
左は最初に紹介した部屋に、右は教官が視察する部屋につながっているが、ブロックで塞がれている。
この演習砲台であるが、見たところコンクリート製である。
これが建設時の状態なのか、造りかえられた物なのかは不明だが、もし、建設当時のままならば、歴史的建造物としての価値が高いのでは?

船越にある防空監視哨

横須賀市船越には防空監視哨が残っている。
現在は危険なために全面立ち入り禁止となっています。無断での見学は絶対にやめてください。
横須賀には、長浦の監視哨と、船越基地内の監視哨を確認しているが、まだまだありそうである。

船越監視哨
境界石と思われるが、文字は読めず。

船越監視哨 (10)
その先の階段(後から作ったと思われる。)を下ると、

船越監視哨 (2)
入口が見える。

船越監視哨 (3)
入口のアップ

船越監視哨 (4)
内部を見る。

船越監視哨 (5)
さらに内部には大部屋があり、その奥に監視部屋がある。

船越監視哨 (6)
コンクリートには鉄筋が使われているのが判る。

船越監視哨 (7)
左側の監視窓

船越監視哨 (8)
右側の監視窓

船越監視哨 (9)
内部から、入口方向を見る。

現在は立ち入り禁止のため場所は記載しない。

横須賀憲兵隊跡地

横須賀市米ヶ浜にある、横須賀中央消防署は横須賀憲兵隊跡地にある。
元々は他所にあった横須賀憲兵分隊が、昭和3年、この地には移転してきた。
昭和17年、横浜憲兵隊の隷下から独立して、横須賀憲兵隊となり、隷下には横須賀憲兵分隊と館山憲兵分隊を置いた。横須賀憲兵分隊はさらに田浦憲兵分遣隊と久里浜憲兵分遣隊を擁した。
さらに昭和20年、横須賀地区憲兵隊となり、終戦までこの体制であった。
(横須賀市史、別編軍事 参考)
現在は境界石が残っている。

横須賀憲兵隊 (3)
横須賀中央消防署の様子。写真手前、マンションとの境界には、

横須賀憲兵隊 (2)
陸軍用地の境界石が残っている。

横須賀憲兵隊
さらに裏手には、境界石があるが、昔は「陸」の字がはっきり読めたと記憶しているのだが・・・

横須賀憲兵隊境界石の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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