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【コラム】第64回 予約投稿

前回のコラムに、最期のメッセージを残そうか?と書きました。
まだ、その記事は書いてませんが、そういった状況になったら更新回数を減らしてでも、没後、出来る限り少しでも長くブログを更新したいと思ってました。

何度も書きましたように、今年は新型コロナウィスルの影響で在宅勤務やゴールデンウイーク中のステイホームの時間、また、例年ですと今の時期、休みの日は野球観戦に出掛けることが多いため、ブログ更新の時間がなかなか取れませんが、今年は開幕が遅れたこともありブログ更新の時間が充分に取れました。
それならばと時間のある時にどんどん記事を作成したのですが、無料ブログだと最大で30件しか予約出来ないみたいです。
私のブログは毎月、本編6、コラム2の8つを公開していますので、3ヶ月半分の記事しか予約出来ないことになります。
ただ有料会員になると100件の予約が出来るようですが、このブログを10年やって初めて予約投稿に制限があることを知ったくらいですから、今後、予約が30件を超えることもないと思います。
今まで10年以上も無料で使わせてもらっていて、そんなことを言うのもナンですが、有料会員になるメリットも無いような気がします。

ただ、30件以上新たな記事を作成できない訳ではありません。
ブログの投稿には、書いたら即公開される、「公開」
公開日時を設定でき、その時間になったら公開される「予約投稿」
とりあえず公開されることはない「下書き」の、3つがあり(期間限定もありますが、使わないので除外)、予約が30件になったら新たな記事は作れませんが、29件までだと、新規の記事を書くことが出来、それを下書き保存しておけばいくらでも記事を貯めておくことが出来るので、無制限に記事を作り貯めることは可能ですが、それを公開するには下書きを公開か予約公開にしなければなりません。
では、どうやって生前に作り貯めていた記事を、没後に公開しましょうか?
まぁ、誰かに託すしかありませんが、どうやってお願いしましょう?
机の中に遺言書と一緒に手紙を入れておき、「もし、私が死んだら、この手紙を投函するように!」とか、「この人のTwitterにダイレクトメール(DM)を送信するように!」と書いておくのも手ですが、妻が机の中を見ないで、そのままゴミに出してしまう可能性もかなりありそうなので、目に付くところに遺言書を置いておこうかしら。

この記事を読んでいるあなたに、数年後(いや、明日にでも)、「この手紙(DM)があなたに届いているということは、私はもうこの世にはいないことですね。では、これからしばらく「kanレポート」の管理をお願いします。」って手紙(DM)が届くかもしれませんよ?
その時はよろしくお願いします!
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【コラム】第63回 お別れの挨拶?

この記事を書いているのは、例年ですとゴールデンウィークですが、今年はコロナの影響でホームステイ週間です。
コロナは世界各地で猛威を振るっており、まだまだ先が見えません。
多くの人が亡くなり、著名な方もその犠牲になりました。
コロナに罹かった方は、調子が悪くなり病院に行くも、すぐに病状が急変、自力呼吸ができなくなり、そのまま亡くなる人も多いと聞きます。
もし、今、私がコロナに罹り、死亡したら誰も分かりませんよね?
多くの人は、「こいつ、更新できなくなってブログを辞めたんだろう!」とか、「ネタがなくなったか?」と思われるならまだ良いですが、「会社の金を横領して逃げている。」とか「ヤ〇ザの親分の女に手を出して、消された。」などとネガティブな推測をされる方もいるでしょう。(多分)
また、コロナに罹かからなくても、交通事故などの不慮の事故で命を落とすこともあると思います。
ならば、いつも御愛顧くださっている皆様に感謝の言葉を残しておくべきでは?などと考えました。
まさかこんなことを考えるとは思ってもみませんでしたが、あり得ますからね!

ドラマや映画でよく、ビデオメッセージを残していて、「このメッセージを見ていると言うことは、もう僕はこの世にいないのですね!」ってシーンを見たことがある方もいるかもしれませんが、そんな感じでメッセージ残してみようかな?
もちろん、動画は残しませんが(笑)

あとは予約投稿をしておき、予約の変更をしなければ公開されて私の死が皆さんに告知されるのです。
それを見た、私の連絡先をご存知の方は家族へ連絡して頂き、私の最期をコメント欄にでも書いて頂けると幸いです。
このアイデア、どう思われますか?
我ながらナイスアイデアだと思うのですが。

そんなことを考えるホームステイ週間でした。

【コラム】第62回 独立混成第118旅団歴史

前回、「豊予要塞の謎」と題してコラムを書きましたが、豊予要塞について一番詳しいと言われている「独立混成第118旅団歴史」を、今回のコロナ騒動で不要不急の外出を控えた時間を使って転記してみました。(著作権とかないですよね?)
所属砲台に必要のない記述は省略し、漢数字をアラビア数字に変えたり、元々は縦書きだったのを横書きにしたため、記載内容の一部を変更しました。
これをコピペして使うのは構いませんが、転記の際の誤字や間違いについては責任を負いませんのでご了承ください。
(これをコピペして使った場合、御一報いただけると、苦労が報われます。)
写経に通じるものがあり、精神鍛錬に役立ちました。(笑)
とは言え、この「独立混成第118旅団歴史」も戦後に作成された物であり、どのような立場の人が作成したのかも、それを証明する史料も分かりませんが、ご覧ください。

独立混成第118旅団歴史

1.(前略)芸予要塞を解体し、大正15年(1926年)8月1日、下記配備ノ豊予要塞を設立す。
要塞司令部 佐賀関町
高島第1砲台 (9cm速射カノン4門)
高島第2砲台 (30cm榴弾砲4門)
高島第3砲台 (12cm速射カノン4門) 佐賀関町高島
佐田岬砲台 (30cm榴弾砲4門)  三﨑村
丹賀砲台 (30cm砲塔(2連装)1基) 東中浦村

2.豊予要塞設立と同時に要塞地帯法の適用を受く町村、下記の如し
九州側
大分県北海部(きたあまべ)郡(現在の大分市南部、臼杵市東部、津久見市)
南海部(みなみあまべ)郡(現在の佐伯市の大部分)
四国側
愛媛県西宇和郡三崎村、神松名村(共に現在の伊方町)
同県北宇和郡日振島村(現在の宇和島市日振島)、北灘村(現在の宇和島市)、下灘村(現在の宇和島市最南の沿岸部)
同県南宇和郡内海村、西外海村、東外海村(すべて現在の愛南町)
高知県幡多郡沖ノ島村(現在の宿毛市の沖の島、鵜来島など)

3.大正15年8月1日以降は、弾薬の補給整備、弾薬庫の構築、砲台戦備等専ら戦力の充実に邁進し来れり。
戦備は陸軍築城部これを●任し、一般労力は所在地方民力を徴傭使用れせり。
平時における要塞の機構は下の如し
要塞司令部 司令官
参謀部 将校1、下士官1、雇員1
副官部 将校1、下士官2、傭人3
砲兵部 将校1、下士官4、工員5 
工兵部 将校1、下士官3、技手1、工員10  
経理部 将校1、下士官2、雇員2 
その他 各砲台及び弾薬本庫に看守として下士官各1を配置しあり。

4.昭和12年(1937年)7月、支那事変勃発し(略)、北満の備えを充実せざるべからざる実情に立到り、昭和14年(1939年)夏、下記砲台
を解体し外地に転用せらる。
高島第2砲台 (30cm榴弾砲4門) 、佐田岬砲台 (30cm榴弾砲4門)
これが撤廃のため、昭和14年夏以降における要塞配備は下記配備を縮小せらる。
要塞司令部
高島第1砲台 (9cm速射カノン4門)
高島第3砲台 (12cm速射カノン4門)
丹賀砲台 (30cm砲塔(2連装)1基)

5.前項、火砲の抽出により昭和15年(1940年)春、15cmカノン4門、野砲12門を補充せられ現地に到着す。
これにより戦備計画を更新し、司令官以下現地研究の結果、下記配備を決定す。
高島第1砲台 (9cm速射カノン4門)
高島第2砲台 (12cm速射カノン4門)
佐田岬第1砲台 (15cmカノン4門)
佐田岬第2砲台 (38式野砲2門)
丹賀砲台 (30cm砲塔(2連装)1基)
芹崎砲台 (38式野砲4門)
沖ノ島第1砲台 (38式野砲4門)
沖ノ島第2砲台 (38式野砲2門)
新たに佐田岬砲台として補給せられたる15cmカノン4門は、陸軍築城部において昭和15年春起工し、同年夏、これの竣工を見る。
野砲12門は要塞司令部兵器庫及び弾薬本庫格納保管し、戦備下令と同時に各地区に補給する如く計画す。

6.昭和16年(1941年)11月17日、要塞に警急戦備下令せられ同月22日動員計画、基く要塞司令部要員を充足し、同日、新たに佐賀関陸軍病院設立せらる。
警急戦備に応ずる重砲兵1中隊(中隊長 藤近大尉)、下関重砲兵連隊において編成せられ、11月20日、中隊長以下到着し計画に基き速吸方面たる高島及び佐田岬の配備につき、担任砲台の戦備に着手す。

7.昭和16年12月23日、準戦備下令せられ新たに下関重砲兵連隊において編成せられたる豊予要塞重砲兵連隊連隊長内藤中佐以下逐次到着し、昭和17年(1942年)1月8日、下記系統に基く配備を完了し、一意戦備に専念す。

要塞司令部  ―  佐賀関陸軍病院

重砲兵連隊本部

速吸地区隊
高島第1砲台 (9cm速射カノン4門、90cm探照灯)
高島第3砲台 (12cm速射カノン4門、200cm探照灯1)
佐田岬砲台 (15cmカノン4門、150cm探照灯1)

鶴見崎地区隊
丹賀砲台 (30cm砲塔(2連装)1基、150cm探照灯1)
芹崎砲台 (38式野砲4門)

沖ノ島地区隊
沖ノ島第1砲台 (38式野砲4門)
沖ノ島第2砲台 (38式野砲2門)
見難くてすみません。色々と試しましたが私の力ではこれが限界です。
要塞司令部の隷下には、佐賀関陸軍病院と重砲兵連隊本部があり、重砲兵連隊本部の隷下に各地区隊があります。


8.昭和17年1月11日、戦備下令以来最初の試験射撃において、丹賀砲台 (30cm砲塔)膣発事故のため、重砲兵連隊長内藤中佐(殉職と同時に大佐進級)以下16名殉職し、砲台は廃砲台となる。

9.丹賀砲台廃砲台となりたるにより、昭和17年春、津軽要塞より15cmカノン2門、伊良湖演習場より15cmカノン2門、小倉補給廠より12cm榴弾砲4門転用し受け、陣地偵察の結果、鶴見崎に装備することに決定、砲台の建設に着手し、昭和17年夏、これを完成す。(一部略)

10.昭和17年8月、要塞の編成改正行われ、当要塞は要塞司令、重砲兵連隊(本部及び5個中隊)及び佐賀関陸軍病院に縮小せられ、防衛担任地域もまた、軍事施設の現存する1町5村に縮小せらる。(中略)
編成改正後における要塞の編成及び配備、下記の如し。

要塞司令部(佐賀関町)  ―  佐賀関陸軍病院

重砲兵連隊本部(佐賀関町)
第3中隊 高島第1砲台守備隊 (9cm速射カノン2門、90cm探照灯1)
第4中隊 高島第3砲台守備隊 (12cm速射カノン4門、200cm探照灯1)
第1中隊 鶴見崎第1砲台守備隊 (15cmカノン4門、150cm探照灯1)
第2中隊 鶴見崎第2砲台守備隊 (12cm榴弾砲4門)
第5中隊 佐田岬砲台 (15cmカノン4門、150cm探照灯1)

11.前項、要塞の編成改正により削除せられたる兵力及び兵器は下記の通り抽出転用せらる。
人員 450名(関東軍に転属)
兵器 野砲8門 小倉補給廠へ。9速カ2門 大阪補給廠へ。残余の野砲4門は要塞の予備として格納保管す。

12.昭和19年(1944年)7月15日、戦時警備下令せらる。

13.昭和19年8月、西部軍よりの命令により要塞司令官は、有明湾臨時要塞建設を命ぜられ(中略)昭和20年(1945年)3月完成す。配備、下記の如し。
高崎地区
高砲台(15cmカノン3門)
低砲台(15cmカノン4門、150cm探照灯1)
枇榔(びろう)島砲台(10cmカノン2門、150cm探照灯1)
鬢垂(びんたれ)島砲台(12cm速射カノン2門、150cm探照灯1)
(ともに鹿児島県志布志湾にある島)

14.昭和19年10月、佐田岬15cmカノン4門、前項、有明湾臨時要塞に転用のため撤去す。

15.昭和20年2月、佐賀関陸軍病院は要塞の隷下を脱す。

16.要塞は任務達成上、前項15cmカノン転用に伴い、鶴見崎第2中隊(12cm榴弾砲4門)を佐田岬に配備変更に決定し、昭和20年3月、配備を変更す。

17.昭和20年2月、戦況の進展に伴い、要塞の改造強化を命ぜられ、下記配備変更を認可せられ同年3月1日より洞窟式要塞強化に着手す。

砲台名

砲種(砲数)

主線(射界)

関崎砲台

38式野砲(2門)

高島(左右各30°)

高島第1砲台

9cm速射カノン(2門)

220°(左右各30°)

高島第2砲台

38式野砲(2門)

佐田岬灯台(左右各30°)

高島第3砲台

12cm速射カノン(4門)

佐田岬灯台(左右各30°)

佐田岬砲台

12cm榴弾砲(4門)

高島(左右各30°)

鶴見崎砲台

15cmカノン(4門)

90°(左右各30°)


18.昭和20年6月、軍令陸甲第84号下令
新たに独立混成第118旅団編成せられ豊予ようさ要塞の名称を改廃せらる。重砲兵連隊は旅団の編成完結と同時に重砲兵第18連隊と称号を変更し、旅団の隷下に入らしめらる。
独立混成第118旅団の編成、下の如し。
(略)
佐賀関陸軍病院は旅団の編成完結と同時に旅団の指揮下に入る。

19.昭和20年6月10日、旅団司令部の編成を完結す。
20.(略)
21.(略)
22.(略)
23.昭和20年8月14日(ママ)、終戦の詔書喚発せらる。
以下略

【コラム】第61回 豊予要塞の謎

現在、豊予要塞の砲台を紹介していますが、これらの資料は乏しいです。
特に太平洋戦争開戦すぐに丹賀砲台が暴発し廃止になり、代わりに鶴見崎砲台が構築されますが、この辺は謎に包まれています。
日本の要塞を調べる際のバイブル、「日本築城史」に豊予要塞の記載は7ページですが、図を除く解説は全体で5ページ以下で、多くの説明はありません。
今までに訪ねた豊予要塞の砲台について、いくつか私見を述べます。

関崎砲台
「日本築城史」には、「本要塞の築城工事は、大正9年の要塞整理方針に基づき着手され、昭和5年までの第1期工事と、昭和6年以降の第2期工事に区分される。本要塞設置の目的は、補助砲戦ならびに小艦艇の侵入を防止するため、関崎に15cm速射カノン砲1砲台を、高島に10cmカノン砲 1 砲台を、佐田岬に25cm速射カノン砲台および10cmカノン砲台の1砲台を新設し、合計8個の砲台で防備する計画であったが、その後紆余曲折を経て、実施面で多少の変更があった。
「高島第1および関崎砲台は、ともに大正10年7月起工、同13年1月竣工した。スカ式12cm速射カノン砲2門の砲台で、火砲は平時掩砲所に格納された。下関要塞竜司山堡塁砲台の火砲を移したものである。」と書かれており、これがWikipediaの根拠になってるのでしょうが、関崎砲台は計画のみで着工はされなかったようです。
ただ、現地の案内板に書かれている大正6年に15cm速射カノン砲が設置された根拠については不明ですが、案内板には「第1次世界大戦後、航空機、潜水艦の出現により、大正9年11月、海洋砲台構築要領が定まり、豊予要塞と豊予要塞重砲兵連隊(重砲兵第18連隊)が新設され」と書かれていることから、昭和と大正を間違えた可能性もあるのではないでしょうか?(そうとでも考えないと辻褄が合わないですから。)
独立混成第118旅団歴史には、「昭和20年2月、戦況の進展に伴い、要塞の改造強化を命ぜられ、下記配備変更を認可せられ同年3月1日より洞窟式要塞強化に着手す。」と書かれ、そこには関崎砲台、38式野砲(2門)となっているのでこれが真相だと思います。

関崎砲台 (6)

鶴見崎砲台
「日本築城史」に砲台に関する記述は、「破壊した砲塔砲台に代わり、昭和17年3月、鶴見崎先端に15cmカノン砲4門砲台を起工し、同年9月これを竣工した。」のみで、あとは工事責任者の名前が記されているだけです。

丹賀砲台パンフレット
上の写真は丹賀砲台のパンフレットの一部ですが、砲塔砲台のあった場所付近に12cm榴弾砲4門と、20mm機関砲2門が置かれていたように書かれています。、ホンマかいな?

佐田岬第3および第4砲台
こちらも「日本築城史」には、「佐田岬灯台東北方約1500m標高110mの地に、佐田岬第3砲台を、更にこの東方約200m標高100mの地に、第4砲台を構築した。いずれも30cm長榴弾砲4門編成の砲台で、 昭和5年の竣工である。」と書かれていますが、同好の士が探しても発見できていないようです。
また、「なお、佐田岬第5砲台ならびに第6砲台として、それぞれ30cm榴弾砲4門編成の砲台が計画に上ったが、諸種の事情で実現に至らなかった。」と書かれてますが、諸種の事情で実現に至らなかったのは第3および第4砲台ではないのでしょうか?

総じて「日本築城史」に振り回されたとの話はよく耳にします。
要塞や砲台でも、詳しく記載されているものと、数行で終わるものがあり、中には計画のみで建造中止になった砲台や堡塁があたかも完成したように書かれていて、もちろん、私も過去にひどい目に遭ったことがありますし、同好の士の皆さんも多少なりとも振り回されたことがあるようで、「日本築城史被害者の会」を結成しようと冗談で言うこともありますが、これらについてはまたの機会にします。

【コラム】第60回 青春18きっぷ リターンズ

今回は定期登場の「青春18きっぷ」ネタです。
この春は、ベイスターズの静岡でのオープン戦とナゴヤドームでの公式戦を観に行こうと思っていたので、青春18きっぷを買う予定でしたが、オープン戦は無観客に、また、開幕は延期となってしまいました…
それでも出張を絡めて遺構探訪する計画を立て、買いました。

久し振りにローカル線に乗ると、戸惑うことがあります。
前にも書きましたが基本的に、駅でドアは自動では開きません。ドア横のボタンを押して手動で開け閉めします。
ほとんどの駅では一番前の車両の一番前(運転手の後ろ)のドアしか開きません。これは、ワンマンカーかつ無人駅なので運転手が切符を回収するためです。

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1輌編成のワンマンカーだと、バスのように後ろのドアから乗り、前のドアから降りなければなりません。(都会のバスは前から乗り、後ろから降りますが…)
また、「次の駅では全てのドアが開きます。」と車内放送があっても、自動では開きません。正確には、「全てのドアを手動で開けることが出来ます。」です。

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特急の通過待ちで長時間の停車駅が「えっ、ここで!」と言うような駅だったり、

202004151903493a4.jpg
せっかくだから下車したら、駅前の建物がみんな廃墟だったり、

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今来た方へ戻る電車(青い電車)と、この先へ行く電車(赤い電車)が同じホームに並んで停車していたり。

さて、私は青春18きっぷを使っていて、「特急料金を払えば特急に乗れるようにしてくれれば良いのに」といつも思います。
実際、地方の特急に乗ってもガラガラで、ほぼ貸し借り状態のときもあります。
それなら、空で走らせるよりも、特急料金だけでも回収した方が良いと思うのですが。

いかがでしょうか?
プロフィール

kan

Author:kan
酒とトリ貝刺と、南蛮漬けをこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。
著作権は本ブログにあります。使用する場合は御一報ください。(お断りする場合もございます。)
また、使用を許可した場合でも、本ブログ名を明記してください。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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