ギナン原のトーチカ

恩納村瀬良垣にギナン原トーチカと言われる遺構が残っている。
さて、拙ブログを御覧になられている方はご存じだろうが、管理人はトーチカと言われている遺構の殆どを否定してきた。
それらは形状、設置場所など、状況的判断でトーチカではなく監視哨だと判断している。
ただ、ただ・・・

恩納の遺構 (9)
引き潮の時は歩いて渡れると言われるが、当日は満潮ではなかったが渡れるような水深ではなく断念・・・

恩納の遺構 (10)
その先には、銃眼(監視窓)が見える。
さて、この遺構であるが形状的には監視哨だと思うが、場所的に解せない点もある。
まず、監視窓が内陸部に向いていることだ。
目の前の海岸に米軍が上陸するのを想定し、それを監視、迎え撃つ友軍の砲撃を指揮し着弾修正する事は出来るだろう。
しかし、ビーチから近すぎるのだ・・・場合によっては友軍の流れ弾で被害を受けてしまう距離である。
考えられるのは上陸部隊に側方または後方から攻撃を加え、挟み撃ちにするためのトーチカだが、大きさ的にトーチカではなさそうである。また、ビーチの西には岬があり、このビーチにたどり着くまで長時間側方射撃を受けてしまうため、ここを上陸地点とするだろうか?
国道58号を使って侵攻してくる米軍を監視するとしても、わざわざこの場所に監視所を作る必要があるのだろうかも疑問である。
一番の疑問は、どのようにして報告するかである。もし、米軍が侵攻してきたら完全に孤立してしまうだろう。有線電話が繋がっていたとも思えないので、常識的に考えると、無線機を使ったのであろうが、発電機は無かっただろうから、電源(電池)の補充などの問題もある。
何故ここに監視所を作ったのか、どのような役割だったのか興味が尽きない。

ギナン原航空写真出典:国土地理院ウェブサイト
昭和19年の航空写真では、現在と地形などはほとんど変わっていない。

ギナン原のトーチカへのアクセスはこちら
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比謝川河口の震洋壕

読谷村比謝川河口に震洋の格納壕がいくつか残っている。
ただ訪ねた時間帯が悪く、潮が満ちていた。また、事前準備が悪く場所が完全に把握できておらず、ほとんど見ることが出来なかった。
ここに配備されていたのは海上挺身隊第29戦隊第1中隊と言われ、ここから出撃したとの話や、実際には出撃は無かったのと話もあり詳細は不明。

比謝川の震洋壕 (2)
河口に向かうと最初に見える壕。付近は崩落しており、よく見ないと分からない。

比謝川の震洋壕 (1)
格納壕 降りようと思ったがハブがいたら困るのでパス。

比謝川の震洋壕 (4)
2つ目の壕

比謝川の震洋壕 (3)
内部の様子。掘削途中か?

比謝川の震洋壕 (5)
岩質はザラザラで結構痛い・・・

比謝川の震洋壕 (6)
この先は潮が満ちていて断念。

比謝川の震洋壕 (7)
格納壕だったのか?、天然のガマなのか?

比謝川の震洋壕 (8)
人為的な物か、自然の物か不明の窪み。この先、上流にも格納壕がある様だが、こちらも潮が満ちており行けなかった。

比謝川河口への震洋壕アクセスはこちら

陸軍沖縄北飛行場掩体壕

陸軍沖縄北飛行場と聞いてもピンと来ないだろう。この名称より、読谷飛行場と言った方が馴染みがあるのではないだろうか?
陸軍沖縄北飛行場は、昭和18年に建設が開始され、昭和19年に完成した。しかし、昭和20年4月、米軍が上陸すると占領され、米軍の飛行場として使用される。その米軍機を破壊すべく「義烈空挺隊」が、同飛行場への突入を図り、数機が成功した。この作戦は、態勢に影響を与えられなかったが、米兵の心胆を寒からしめた。
戦後は米軍の補助飛行場として使用されていたが、平成18年に全面返還された。
現在は、掩体壕が1基残っている。

読谷掩体壕 (8)
場所は特定出来ていたのだが、想像と違い茂みの中にあった。

読谷掩体壕 (1)
最近まで、この付近に3つ残っていたようだが、現在はこれだけが残る。

読谷掩体壕 (2)
掩体壕の前に建てられた、義勇空挺隊玉砕之地の碑

読谷掩体壕 (4)
形状は本土でも見られる陸軍式である。

読谷掩体壕 (5)
右から見る。

読谷掩体壕 (7)
左から見る。

読谷掩体壕 (6)
内部の様子。状態は良くないが、補強されているので崩壊は無いと思うが・・・

読谷掩体壕 (3)
弾痕が残っている。

陸軍沖縄北飛行場掩体壕の場所はこちら

知念岬にある陣地壕

景勝地として有名な知念岬は多くの観光客が訪れる。
その観光地に、吉岡隊壕がある。
吉岡隊とは重砲兵第7連隊第2中隊のことで中隊長の名前に由来している。
この壕は重砲兵第7連隊第2中隊知念地区隊の本部壕だったようで、詳しくは「碧血の島」さんを御覧あれ。
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / その1
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / その2
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / その3
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / その4
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / その5
知念埼砲台、通称ウローカー砲台の指揮所、重砲兵第7聯隊 第2中隊、知念地区隊の本部壕跡 / 終章


知念岬の陣地壕 (8)
知念岬は観光地であり迷うことはないだろう。物産館脇の門から岬に向かってすぐ、バスの駐車スペースのすぐ近くに壕はある。

知念岬の陣地壕 (1)
夏場は分からないが、道路端から壕入口は見える。

知念岬の陣地壕 (2)
壕の入口

知念岬の陣地壕 (3)
入口入ってすぐ。すぐ左に分岐があるかと思ったが。

知念岬の陣地壕 (4)
掘削途中か?または格納庫なのだろうか?窪みがある

知念岬の陣地壕 (5)
さらに奥に進む。壕は四角く掘られている。

知念岬の陣地壕 (6)
反対側の開口部が見える。
でも、ここでギブアップ!灯りを忘れたのと、穴は苦手なのよね・・・
フラッシュ使ったから明るく見えるけど、実際は真っ暗なの・・・
壕の詳細は、いつもお世話になっている-廃虚日常記録帳-さんが公開されている。

知念岬の陣地壕 (7)
回れ右で、入り口を見る。

知念岬にある陣地壕の場所はこちら

豊見城海軍司令部壕 その7

海軍壕公園1 (9)
最後にいくつかあった壕の出入り口を紹介する。

海軍壕出入り口 (4)
案内板左に書かれている出口 当時の面影はない。

海軍壕出入り口 (3)
出口へ向かう通路。こちらは階段だった入り口と違い、坂道となっている。

海軍壕出入り口 (1)
案内図右端(壕出口の反対側)非常口への通路(非公開)

海軍壕出入り口 (6)
非常口を外から見る。壕口からは塹壕があり、外見も当時の状態に極めて近いと思われる。

海軍壕出入り口 (5)
こちらは壕内に流れる説明の録音が聞こえてくるので壕口だと思われる。

当時の状態に近い壕口はこの辺
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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