ギナン原のトーチカ
恩納村瀬良垣にギナン原トーチカと言われる遺構が残っている。
さて、拙ブログを御覧になられている方はご存じだろうが、管理人はトーチカと言われている遺構の殆どを否定してきた。
それらは形状、設置場所など、状況的判断でトーチカではなく監視哨だと判断している。
ただ、ただ・・・

引き潮の時は歩いて渡れると言われるが、当日は満潮ではなかったが渡れるような水深ではなく断念・・・

その先には、銃眼(監視窓)が見える。
さて、この遺構であるが形状的には監視哨だと思うが、場所的に解せない点もある。
まず、監視窓が内陸部に向いていることだ。
目の前の海岸に米軍が上陸するのを想定し、それを監視、迎え撃つ友軍の砲撃を指揮し着弾修正する事は出来るだろう。
しかし、ビーチから近すぎるのだ・・・場合によっては友軍の流れ弾で被害を受けてしまう距離である。
考えられるのは上陸部隊に側方または後方から攻撃を加え、挟み撃ちにするためのトーチカだが、大きさ的にトーチカではなさそうである。また、ビーチの西には岬があり、このビーチにたどり着くまで長時間側方射撃を受けてしまうため、ここを上陸地点とするだろうか?
国道58号を使って侵攻してくる米軍を監視するとしても、わざわざこの場所に監視所を作る必要があるのだろうかも疑問である。
一番の疑問は、どのようにして報告するかである。もし、米軍が侵攻してきたら完全に孤立してしまうだろう。有線電話が繋がっていたとも思えないので、常識的に考えると、無線機を使ったのであろうが、発電機は無かっただろうから、電源(電池)の補充などの問題もある。
何故ここに監視所を作ったのか、どのような役割だったのか興味が尽きない。
出典:国土地理院ウェブサイト
昭和19年の航空写真では、現在と地形などはほとんど変わっていない。
ギナン原のトーチカへのアクセスはこちら
さて、拙ブログを御覧になられている方はご存じだろうが、管理人はトーチカと言われている遺構の殆どを否定してきた。
それらは形状、設置場所など、状況的判断でトーチカではなく監視哨だと判断している。
ただ、ただ・・・

引き潮の時は歩いて渡れると言われるが、当日は満潮ではなかったが渡れるような水深ではなく断念・・・

その先には、銃眼(監視窓)が見える。
さて、この遺構であるが形状的には監視哨だと思うが、場所的に解せない点もある。
まず、監視窓が内陸部に向いていることだ。
目の前の海岸に米軍が上陸するのを想定し、それを監視、迎え撃つ友軍の砲撃を指揮し着弾修正する事は出来るだろう。
しかし、ビーチから近すぎるのだ・・・場合によっては友軍の流れ弾で被害を受けてしまう距離である。
考えられるのは上陸部隊に側方または後方から攻撃を加え、挟み撃ちにするためのトーチカだが、大きさ的にトーチカではなさそうである。また、ビーチの西には岬があり、このビーチにたどり着くまで長時間側方射撃を受けてしまうため、ここを上陸地点とするだろうか?
国道58号を使って侵攻してくる米軍を監視するとしても、わざわざこの場所に監視所を作る必要があるのだろうかも疑問である。
一番の疑問は、どのようにして報告するかである。もし、米軍が侵攻してきたら完全に孤立してしまうだろう。有線電話が繋がっていたとも思えないので、常識的に考えると、無線機を使ったのであろうが、発電機は無かっただろうから、電源(電池)の補充などの問題もある。
何故ここに監視所を作ったのか、どのような役割だったのか興味が尽きない。

昭和19年の航空写真では、現在と地形などはほとんど変わっていない。
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