中城村津覇トーチカ

中城村津覇にある、津覇之寺(津覇のテラと書かれているサイトも多数ある。)のすぐ近くには、津覇之寺トーチカと言われている遺構が残っている。
今回、この遺構を訪ねるにあたり、こちらのサイトを参考にさせていただいた。

津覇トーチカ (4)
12月の下旬でも草に覆われている。当日の気温は25℃オーバーだった・・・
蚊もすごく多く、何か所も刺されたし、何よりもハブが・・・

津覇トーチカ (3)
六角形であり、そのうちの4面に銃眼がある。これは南側から見た様子。

津覇トーチカ (2)
北側から見る。銃眼の大きさと形状が分かる。

津覇トーチカ (1)
東側の2面には銃眼がない。こちらに出入り口があると推測するが埋まっていて分からない。
さて、こちらにはこの遺構を調査した際の写真がある。いつも拙ブログをご覧になられている方ならもうお判りだろうが、これも形状や場所からトーチカではなく、監視哨だろう。
まずは場所であるが、海岸線から内陸に300mほど入った所にあるが、海岸ではなく内陸に銃眼(監視窓)がある。
地理的には上陸してくる敵を迎え撃つため、または監視するのが普通だろう。しかし、内陸を向いているのである。
現在の国道329号線を南下する敵を攻撃するのなら300m以上あり小銃、機関銃で攻撃するには遠すぎるし、、地形的にも国道の西側(内陸側)が山なので、布陣するのならそちらだろう。

USAokinawa-M45-63.jpg提供「国土地理院の空中写真」
では、これは何なのか?
この付近が演習場(大砲の射撃場)があったか、または、南1km程に建設予定であった西原飛行場関連の遺構ではないだろうか?
かなり強引な推測であるが、そう考えたくなる遺構である。

中城村津覇トーチカの場所はこちら
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与那原町 (馬天)射堡指揮所

与那原町字板良敷には、与那原町 (馬天)射堡指揮所が残っている。
射堡(しゃほ)とは、陸上に備えられた魚雷発射場で、指揮所は読んで字の如く、その射堡を指揮する場所である。
今回も「碧血の島」さんを参考にさせていただいた。
この射堡に装備されたと思われる魚雷が戦後発見され、現在は糸数壕の近くに展示されている。

与那原町 (馬天)射堡指揮所 (1)
畑の一角にそれは残されている。当日は暑かったので、「ハブいますか?」と尋ねると、「それはハブに聞いて!」との事・・・
そして、「今日は暖かいから、足元には気を付けて!」と・・・

与那原町 (馬天)射堡指揮所 (2)
監視窓と地面がほぼ同じ高さである。このまま埋もれてしまうのか?

与那原町 (馬天)射堡指揮所 (3)
形状は半円の筒状だと思う。ハブがいるかも?なので後ろには回れず・・・

与那原町 (馬天)射堡指揮所 (4)
年末にも関わらず、首、顔、頭と何か所も蚊に刺された・・・

さて、この遺構であるが畑の一角にあるため場所は明記しない。
また、畑の所有者の方にサトウキビを御馳走になった。初めて食べたサトウキビ。とても優しい味で、美味しゅうございました。
どうもありがとうございました。
この遺構の詳細は、こちらを参照されたい。
与那原町 (馬天)射堡指揮所 1
与那原町 (馬天)射堡指揮所 2
与那原町 (馬天)射堡指揮所 3
与那原町 (馬天)射堡指揮所 4

嘉数高台公園に残る遺構

今、オスプレイで話題の、普天間基地が一望できる宜野湾市嘉数高台公園には、陣地壕とトーチカと言われる遺構が残っている。
この付近は沖縄戦一番の激戦地であった。

嘉数公園 (1)
公園内には弾痕が残る塀を移設展示している。

嘉数公園 (2)
弾痕の残る塀の脇にある階段を上ると、トーチカと陣地壕の案内があるので迷うことはないだろう。

嘉数公園 (3)
テンションだだ下がり・・・

嘉数公園 (5)
壕の開口部

嘉数公園 (4)
元々自然のガマを使ったと思われ、開口部から急に深くなっている。

嘉数公園 (14)
山頂付近に残るトーチカと言われる遺構

嘉数公園 (6)
正面から見る。大きく破壊されており戦闘の凄まさしさが判る。

嘉数公園 (7)
更に正面向かって右にも開口部がある。

嘉数公園 (9)
左正横から見る。

嘉数公園 (10)
内部から見る。激しく破壊されているが、両方同じ作りだったと思われる。

嘉数公園 (11)
入り口部分。土砂が流入して狭くなっているのでは?

嘉数公園 (12)
破壊された開口部から外を見る。

嘉数公園 (13)
もう一つの開口部

嘉数公園 (15)
さて、いつもの事で恐縮なのだが、写真の日向と影が分かれる舗装の切り欠部にトーチカと言われる遺構はある。位置的にも形状的にも、斜面を上ってくる敵を射撃できないのは明らかである。この遺構はトーチカと言われているが、構築場所、銃眼の形状などから監視所または観測所でないかと推測するが、いかがだろうか?

チンタ浜踏切 (3)
これは北海道に残る重機関銃用のトーチカ。銃眼の形状や大きさを見ていただくと一目瞭然である。

嘉数高台公園に残るトーチカと言われる遺構の場所はこちら

真栄田トーチカ

恩納村真栄田の海岸には真栄田のトーチカと言われる遺構が残っている。
この遺構は天然の洞窟を利用して構築されている。

恩納の遺構 (8)
陣地の入り口

恩納の遺構 (7)
内部の様子

恩納の遺構 (1)
銃眼と思われる開口部

恩納の遺構 (3)
内部から見る。

恩納の遺構 (2)
銃眼から見る風景

恩納の遺構 (4)
陣地の奥 人為的な切込みがある。

恩納の遺構 (6)
地元自治会の人によって保存されている様で嬉しい。

真栄田トーチカへの入り口はこちら

楚辺海岸のトーチカ

読谷村楚辺海岸にもトーチカと言われる遺構が残っている。
この陣地の構築も都屋漁港と同じく、歩兵第22連隊 連隊砲中隊 第3小隊が行ったようである。
今回も「碧血の島」さんを参考にした。
歩兵第22聯隊 通称号 山3474部隊、第24師団 歩兵第22聯隊の軌跡
楚辺海岸の聯隊砲陣地 1
楚辺海岸の聯隊砲陣地 2
楚辺海岸の聯隊砲陣地 3
楚辺海岸の聯隊砲陣地 4
楚辺海岸の聯隊砲陣地 5
楚辺海岸の聯隊砲陣地 6
楚辺海岸の聯隊砲陣地 7
楚辺海岸の聯隊砲陣地 8

楚辺海岸のトーチカ (10)
遠くからでも陣地入り口が見える。

楚辺海岸のトーチカ (1)
入り口部分 右に監視窓が見える。

楚辺海岸のトーチカ (6)
入口部分 コンクリが使われている。

楚辺海岸のトーチカ (7)
反対側。こちらにもコンクリが使われている。

楚辺海岸のトーチカ (2)
監視窓のアップ

楚辺海岸のトーチカ (3)
内部から見る。

楚辺海岸のトーチカ (8)
入口向かって左には岩を削って銃眼(砲眼って言った方が良いのかしら?)が作られている。

楚辺海岸のトーチカ (9)
銃眼のアップ。途中で構築を止めたのか?または、戦後に埋め直したのか?コンクリートの状態や、鉄のヒンジがあるので、戦後に埋め直したのか?

楚辺海岸のトーチカ (4)
内部から見る。確かに不自然である・・・

楚辺海岸のトーチカ (5)
陣地奥を見る。これで完成だったのか、構築途中なのかは不明。

楚辺海岸のトーチカへの入り口はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、ニシンの塩焼きをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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