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歩兵第13連隊その2 酒保

前回の門柱から間が空いてしまったが、歩兵第13連隊の遺構として、酒保を紹介する。

熊本学園大学内には歩兵第13連隊の酒保が残っている。
この遺構も熊本地震の前に訪ねており、現状とは異なる可能性がある。
また、当時は守衛さんに見学をお願いすると、許可してもらえたが、見学が許可されているかは不明なので、行かれる方は事前確認されたい。

歩13酒保 (3)
まずは、大学の敷地外から見た風景を説明する。
北側から見る。建物の北側が酒保であり、南側が炊事場だったようである。

歩13酒保 (5)
酒保北西側のアップ

歩13酒保 (2)
西側から見る。

歩13酒保 (1)
上記の場所から、南側を見る。

歩13酒保 (7)
南側は炊事場だったと言われている。

歩13酒保 (15)
大学の敷地内から酒保の西側を見る。

歩13酒保 (19)
酒保の入り口

歩13酒保 (16)
正面から見る。

歩13酒保 (18)
内部の様子

歩13酒保 (14)
南から炊事場の西側を見る。

歩13酒保 (12)
炊事場の南側

歩13酒保 (13)
炊事場の東側

歩13酒保 (17)
酒保内部の様子

歩13酒保 (11)
炊事場内部の様子(フラッシュあり)

歩13酒保 (9)
炊事場内部東側

歩13酒保 (10)
炊事場内部西側(共にフラッシュなし)
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工兵第6連隊

熊本県警警察学校は、工兵第6連隊兵営跡地に建てられている。

工兵第6連隊は明治9年4月に熊本鎮台の工兵第6小隊として編成され、西南の役で初陣を飾り、翌、明治11年中隊となり、明治21年に工兵第6大隊に大隊編成となる。日清戦争、日露戦争に参加。
第1次世界大戦では青島攻略戦に参加する。
大正12年から2年間、大隊の一部が、満洲に駐箚となる。
昭和3年に勃発した済南事件、昭和6年に勃発した満州事変にも大隊の一部が参加した。
昭和11年に連隊へ昇格し、日中戦争にも参加する
太平洋戦争では、昭和17年にラバウル方面に進出。
以後、ソロモンを転戦。ニューギニアで終戦を迎える。
ぶらり重兵衛の歴史探訪2さんを参照させていただいた。)

また、今回の訪問も、盡忠報國さんのブログ「大日本者神國也」を参考にさせて頂いたが、(参考と言うか、パクりです・・・)
盡忠報國さんの意向により、場所は記載しない。

工兵第6連隊 (1)
警察学校敷地内にある、至誠の碑
この碑も、全国に残されている軍人勅諭御下賜50周年記念で建てられたものである。
警察学校の入り口には誰もいなく、「御用の方は当直室まで」的なことが掲示されていたので、撮影許可を取りに行くと・・・
「いやいや、今更、許可も何も、現にここまで勝手に入ってきてるでしょ!」と言われ、身分証明書(運転免許証)を提示させられ、それを記録され、もう、ここまで来ちゃっているんだから、撮ってもいいとを言われた・・・

工兵第6連隊 (2)
角度を変えて見る。

工兵第6連隊 (3)
背面 こちらに昭和7年建立と書かれている。

工兵第6連隊 (5)
更にその先のクスノキの大木の根元には

工兵第6連隊 (4)
皇太子殿下御野立所之碑がある。大正9年4月建立

工兵第6連隊 (6)
この碑は、昭和7年に建立されたものであるが、詳細不明
ただ、背面には、陸軍工兵上等兵 〇〇 高吉の文字があるため、満州事変で戦死された兵士の顕彰碑の可能性がある。

野砲兵第6連隊

熊本市中央区大江にある白川中学校は野砲兵第6連隊兵営跡地にあり、門柱が移設され校門として使われている。
野砲兵第6連隊は明治7年、熊本城内に熊本鎮台砲隊が編成され、それを母隊とし明治17年に砲兵第6連隊となり、明治21年には熊本鎮台から第6師団への編成替えに伴い、第6師団の隷下となる。
翌明治22年には、野戦砲兵第6連隊と改称され、明治32年にこの地へ移転した。
明治40年、野砲兵第6連隊となり、終戦まで奮戦した。
熊本探訪に際して、盡忠報國さんのブログ「大日本者神國也」を参考にさせて頂いた。
今回紹介する、野砲兵第6連隊門柱は熊本地震の直前(地震の4日前)に訪問したものである。

野砲兵第6連隊 (1)
白川中学校に移設された、野砲兵第6連隊門柱
「大日本者神國也」さんに寄せられたコメントによると、この門柱は熊本地震で倒壊したが元の状態に戻されたそうである。

野砲兵第6連隊 (5)
向かって右の門柱。袖門がある。

野砲兵第6連隊 (2)
角度を変えて見る。

野砲兵第6連隊 (6)
向かって左の門柱

野砲兵第6連隊 (3)
また、付近には野砲兵第6連隊之碑が建立されている。

野砲兵第6連隊 (4)
この碑は明治32年、熊本場内からこの地に兵営を移した際に記念して建てられた。

野砲兵第6連隊の碑
さて、この碑であるが「雄憤健勲」と読んだが、いかがだろうか?(教えて偉い人

歩兵第13連隊その1 門柱

熊本市中央区大江町には、歩兵第13連隊の門柱が残っている。
歩兵第13連隊の兵営は熊本城内にあったが、大正14年5月、この地に移転した。
この情報は、平成28年4月に発生した、熊本地震以前のものです。訪問される方は最新の情報を確認してください。

歩兵第13連隊は、明治8年4月に編成、同年9月、軍旗を親授された、鎮台に所属した最古参の連隊の一つである。
連隊の初陣は、明治9年10月に生起した、神風連の乱であり、翌年に生起した西南の役では連隊長が戦死するも、よく奮戦し、西郷軍を撃滅する。
明治21年、熊本鎮台は第6師団となり、歩兵第13連隊は第6師団隷下となる。
明治27年、日清戦争では山東半島に出動、威海衛等で行動する。
明治37年、日露戦争では、遼陽、首山堡、沙河会戦を経て、奉天会戦に参加し、明治39年3月、凱旋する。
大正に入り、12年4月から14年5月まで、満州駐箚となり、熊本帰還と共に大江の新兵営に移る。
昭和3年、済南事件に出動
昭和7年から8年まで、満州事変に出動、熱河、長城、華北作戦に従事する。
昭和12年、日中戦争勃発により北支に派遣され、その後、中支に転進し、南京攻略戦に参加、その後は武漢攻略戦、南昌作戦などに参加する。
昭和16年12月、太平洋戦争勃発により、南方に転進。昭和18年ラバウル上陸、ソロモン作戦に従事するも、優勢なる米軍相手に苦戦を重ね、昭和19年、ブーゲンビル島防衛の任に就き、終戦を迎える。
(ノーベル書房:わが連隊より抜粋)

歩13門柱 (5)
門柱の全景

歩13門柱 (1)
左側の門柱

歩13門柱 (2)
右の門柱にはレンガ塀が残されている。

歩13門柱 (4)
当時の物と思われる石垣

歩13門柱 (6)
皇威無窮の碑
これは満州事変での出征を記念したもので、裏には、熱河河北聖戦記念 昭和7年12月15日出動 昭和8年10月1日凱旋と彫られており、他には従軍者の人数と、戦病没者の名前がある。
以前は門柱の近くにあったが、工事に伴いこの場所に移設されたようである。

第6師団長舎

熊本城の東、高橋公園は第6師団長舎跡地であり、門柱が残っている。
熊本地震で倒壊したとの情報があります。

6師団長官舎 (8)
第6師団長舎門柱

6師団長官舎 (9)
ヒンジも残っており、状態は良い。

6師団長官舎 (10)
西南戦争時の鎮台司令長官 谷干城の銅像がある。

6師団長官舎 (2)
市電「河原町」駅近くにある延寿寺には、師団長舎が移設されている。

6師団長官舎 (3)
建物左側 オリジナル度は不明

6師団長官舎 (5)
正面入り口、車寄せ部分

6師団長官舎 (6)
右側
今回も、大日本者神國也さんを参考にした。
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。
著作権は本ブログにあります。使用する場合は御一報ください。(お断りする場合もございます。)
また、使用を許可した場合でも、本ブログ名を明記してください。

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