紀伊田辺に残る震洋基地

和歌山県田辺市には、震洋の格納壕が残っている。
この基地は、田辺嵐基地と呼ばれていたが、実際には完成前に終戦を迎えたようである。
詳しくはこちら

田辺震洋基地 (2)
4つ残るうちの、一番左の壕。

田辺震洋基地 (3)
ちょっと見難いが、奥行きが無く、完成前に終戦を迎えたと思われる。

田辺震洋基地 (4)
左から2つ目の壕

田辺震洋基地 (5)
奥行きはかなりあるが、準備不足のため中には入らず・・・
見ての通り、内部には泥が溜まっており長靴で無いと無理そうである。

田辺震洋基地 (6)
右から2つ目の壕。今は取り壊されたが、壕の前には最近まで建物があったようで、そのためか?床あげされているので、入口が狭くなっている。また、地面は泥状であり、泥濘に、はまってしまった・・・

田辺震洋基地 (7)
こちらも奥深く掘られており、ほぼ完成していたのでは?

田辺震洋基地 (8)
地層が綺麗だ。

田辺震洋基地 (9)
一番右の壕。こちらも泥が溜まっている。
これらの壕は内部で繋がっているとの情報もあるが、詳細は不明。

田辺震洋基地 (10)
壕の前にあるすべり。戦後に今の状態になったのだろうが、大まかな基礎は基地建設時に作られたのかもしれない。

田辺震洋基地 (11)
壕のある付近の全景。真ん中2つの壕が見える。

田辺震洋基地 (12)
岬の北側にも3つの壕があるらしく、探しに行く途中に見つけた壕
なお、北側にあると言われている壕は、道も無くまた、潮が満ちていたため見つけられなかった。

田辺震洋基地 (13)
さらに付近には、不自然な小屋があり

田辺震洋基地 (14)
奥には壕があるようだ。

田辺震洋基地 (15)
さらに石で塞がれた壕もある。

田辺震洋基地
岬入口の写真。写真の左手に石で塞がれた壕がある。
地質や地形から、この道路や家のある辺りは戦後に埋め立てられた様であり、探せばまだ壕がある可能性もある。
アクセスは、田辺駅から12系統、または白浜駅から11系統のバスで「内の浦」下車すぐ。

紀伊田辺に残る震洋基地の場所はこちら
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和歌山陸軍墓地

歩兵第61連隊門柱のある場所から、南へ約600mの位置に和歌山陸軍墓地がある。
和歌山陸軍墓地には現在、和歌山県平和祈念資料館があり、忠霊塔と合葬碑が残っている。

和歌山陸軍墓地 (6)
和歌山陸軍墓地の全景。手前の燈篭には、功勲広大(左)と遺徳無量(右)の文字が彫られており、昭和16年8月、愛国婦人会和歌山県支部が寄進した。

和歌山陸軍墓地
入ってすぐ左にある、「兵器ハ命」の碑

和歌山陸軍墓地 (2)
境界石も一緒に飾られている。

和歌山陸軍墓地 (3)
忠霊塔昭和16年1月建立 燈篭は昭和18年2月和歌山県紡績連合会によって建立され、左には振武八紘、右には遺名万世と彫られている。

和歌山陸軍墓地 (5)
忠霊塔のアップ

和歌山陸軍墓地 (4)
忠霊塔の左にある合葬碑 昭和16年11月30日建立

和歌山陸軍墓地 (7)
忠霊塔の背後に残る石垣。陸軍墓地の物と思われる。

和歌山陸軍墓地の場所はこちら

和歌山連隊区司令部

歩兵第61連隊営門前には、和歌山連隊区司令部があった。
連隊区司令部とは陸軍の徴兵、召集をつかさどる組織であり、いくつかの改編を経て、各府県に置かれていた。
現在は自衛隊地方協力本部がほぼ同じ業務を担っている。

和歌山連隊区司令部 (2)連隊区司令部跡地は、財務省 近畿財務局 和歌山財務事務所となっている。現在の門自体の詳細は不明だが、

和歌山連隊区司令部 (4)門袖の感じは、連隊区司令部当時の様な気もしなくはない・・・

和歌山連隊区司令部 (3)さらに、駐車場入り口の門柱もなんとなく怪しい気がするが、どうなんでしょう?

和歌山連隊区司令部
正門向かって左側(東側)の建物の間に境界石が残っている。「陸軍用地」と彫られていて、先が尖っているタイプである。

和歌山連隊区司令部 (5)
裏手に廻るともう1つあった。

和歌山連隊区司令部 (6)こちらは埋まってしまい、陸しか見えない。

和歌山連隊区司令部の場所はこちら

歩兵第61連隊 その2

以前に紹介した歩兵第61連隊の跡地を再調査したところ、いくつかの発見があったので紹介する。

和歌山連隊
兵営のあった北側、砂山小学校の前には御即位大典記念碑がある。これは昭和天皇の即位を記念した物で、陸軍中将の揮毫の様だが、判読できなかった。

和歌山連隊 (2)兵営跡地は、和歌山商業高校や西和中学校等になっている。これは兵営と陸軍病院の境界である側溝。

和歌山連隊 (3)兵営の南側は練兵場だったが、はっきりした境界は判らなかったが、偶然にも「陸軍用地」の境界石を見付ける。ただ、近所の人に話を伺うと、「恐らく他所から持ってきた物ではないか」との事。

和歌山連隊 (4)高津公園付近は射撃場だった。雑賀小学校と、星林高校の間にある楠。これは「射撃場の時からあった」と、当時を知るご老人が教えてくれた。

和歌山連隊 (5)さらに、星林高校の校門前には境界石がある。風化して見難いが「陸軍」の文字が見える。

和歌山連隊 (6)現在の、射撃場跡地。

大川山堡塁

大川山堡塁は深山第1、第2砲台の背後を守る堡塁として、明治29年起工、翌30年に竣工した。
装備は9cmカノン砲2門と機関銃4丁で、有事の際は山砲を備える予定で、由良要塞の本州に作られた砲台、堡塁では3番目に竣工している。
しかし、活躍の機会は無く、要塞整理により廃止された。

大川堡塁本来の軍道である、石柱の先は藪漕ぎ状態となる。

大川堡塁 (3)その先には、階段や建物の基礎部が有り

大川堡塁 (4)付近にある石積みをたどれば、

大川堡塁 (5)入口にたどり着く。
最初は祠の脇の階段を登ると大川山堡塁が有ると聞いていたので、未発見の堡塁を見付けたのでは?とテンションが上がる。

大川堡塁 (6)入口には、門柱(門扉の取り付け位置)が判る。

大川堡塁 (7)砲座の左横墻 大川山堡塁には9cmカノン砲が、1砲座に2門備えられていた様だが、特有である砲座の凹み等、砲座の特徴は見つけられなかった。胸墻部分は破壊されたいたのだろうか?
大体にして、大川山堡塁には有事の際に山砲を備え、普段は備砲していないと思っていたので、良く見ていない。

大川堡塁 (9)砲座の右側にある半地下式の掩蔽部は、ほとんど埋まってしまっている。

大川堡塁 (8)掩蔽部の後ろ(背墻?)には、井戸(貯水槽)がある。

大川堡塁 (10)掩蔽部の右側(砲座とは反対側)のレンガ積みは、カーブを描いている。

大川堡塁 (2)その先は坂になっているが、特に何も無い。

大川堡塁 (11)堡塁内にある階段

大川堡塁 (12)便所と思われる遺構

写真を見てお判りの様に状態は悪く、夏場は近づくのが困難だろうし、スズメバチがいるので、冬場のみ訪ねていただきたい。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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