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美浜町に残るトーチカ その2

美浜町に残るトーチカ その1の北約100mにもトーチカが残っている。
これも射線は西を向いており、日高川に沿って北上する敵を迎え撃つべく造られたものである。

美浜町立花のトーチカ (7)
アクセスポイントからトーチカ方向を見る。

美浜町立花のトーチカ (6)
アクセスポイントから真っ直ぐ進み、石垣の沿って右の脇道を進むと

美浜町立花のトーチカ (4)
10m程で右手にトーチカが見える。

美浜町立花のトーチカ (1)
トーチカのアップ

美浜町立花のトーチカ (3)
これも埋まっており、中はゴミだらけの様である。

美浜町立花のトーチカ (5)
トーチカから見る風景

美浜町に残るトーチカ その2のアクセスポイントはこちら
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美浜町に残るトーチカ その1

御坊市の西に位置する美浜町にもトーチカが残っている。
これは紀州本線に沿って北上する敵を、側方から亀山のトーチカと挟撃するための陣地と想像していたが、実際に訪ねると銃眼は西に向いており、この山の西方を日高川に沿って北上する敵に備えていた。
事前の情報では、お寺の敷地内にトーチカが残っているとの情報で訪ねたが誤報であり、奥様にトーチカの場所を教えて頂く。

美浜トーチカその1 (6)
川沿いに北上すると、「女郎の墓」の案内があるので、これを見逃さない限りは行ける。

美浜トーチカその1 (5)
矢印に沿って山に入ると

美浜トーチカその1 (4)
30m程行けば、トーチカはある。

美浜トーチカその1 (3)
トーチカ自体はしっかりしているが、かなり埋まってしまっている。

美浜トーチカその1 (2)
アップ 背面に出入り口があると思うが、前面以外は見えない。

美浜トーチカその1 (1)
銃眼のアップ これも内部は埋まってしまっている。

美浜町に残るトーチカ その1のアクセスポイントはこちら

御坊市亀山に残るトーチカ

JR紀州本線、御坊駅のすぐ近くには本土決戦用の陣地が残っている。
御坊駅の南西約3kmにある煙樹ヶ浜から上陸する米軍を迎え撃つために、少し内陸側の野口地区に観測所があるのは知っていたが、トーチカの存在は知らなかった。
ところが、いつもお世話になっている「遺産、遺跡を求めて…」さんに亀山に残るトーチカが紹介されていた。
トーチカと紹介されている物の多くは観測所であることが多いが、形状的にトーチカ、機銃陣地と思われた。
土地勘が無かったため、水際の迎撃用陣地だと思っていた。
しかし、現地で見ると、上陸後、大阪方面へ北上する敵に対し、側方攻撃を加えるための陣地だったようである。
インターネットで、このトーチカの存在を示す記事を散見するが、詳細な場所を示す記事を見付けられなかったので、アクセスを含めた情報を紹介する。

亀山のトーチカ (9)
アクセスポイント ここを真っ直ぐ上れば行ける。

亀山のトーチカ (7)
アクセスポイントを上ると道路があるが、そのまま、この道を上る。

亀山のトーチカ (6)
右手にお墓があり、その先にトーチカはある。

亀山のトーチカ (3)
トーチカのアップ

亀山のトーチカ (2)
銃眼のアップ
トーチカ内は、完全に土砂で埋まっている。

亀山のトーチカ (5)
銃眼の前にある水槽
これは何だろうか?

亀山のトーチカ (4)
銃眼の庇には木材が残っている。
現在残っているのは、この1本だが、元々は全てに木材が使われていたと思われる跡がある。

亀山のトーチカ (1)
付近のお寺には、未完成だと思われる半分埋まってしまっている壕がある。
事情を話し、案内してもらいました。無断立ち入りはしないでください。

亀山のトーチカ (8)
この写真の真ん中付近にトーチカがある。

亀山に残るトーチカへのアクセスポイントはこちら

紀伊田辺に残る震洋基地

和歌山県田辺市には、震洋の格納壕が残っている。
この基地は、田辺嵐基地と呼ばれていたが、実際には完成前に終戦を迎えたようである。
詳しくはこちら

田辺震洋基地 (2)
4つ残るうちの、一番左の壕。

田辺震洋基地 (3)
ちょっと見難いが、奥行きが無く、完成前に終戦を迎えたと思われる。

田辺震洋基地 (4)
左から2つ目の壕

田辺震洋基地 (5)
奥行きはかなりあるが、準備不足のため中には入らず・・・
見ての通り、内部には泥が溜まっており長靴で無いと無理そうである。

田辺震洋基地 (6)
右から2つ目の壕。今は取り壊されたが、壕の前には最近まで建物があったようで、そのためか?床あげされているので、入口が狭くなっている。また、地面は泥状であり、泥濘に、はまってしまった・・・

田辺震洋基地 (7)
こちらも奥深く掘られており、ほぼ完成していたのでは?

田辺震洋基地 (8)
地層が綺麗だ。

田辺震洋基地 (9)
一番右の壕。こちらも泥が溜まっている。
これらの壕は内部で繋がっているとの情報もあるが、詳細は不明。

田辺震洋基地 (10)
壕の前にあるすべり。戦後に今の状態になったのだろうが、大まかな基礎は基地建設時に作られたのかもしれない。

田辺震洋基地 (11)
壕のある付近の全景。真ん中2つの壕が見える。

田辺震洋基地 (12)
岬の北側にも3つの壕があるらしく、探しに行く途中に見つけた壕
なお、北側にあると言われている壕は、道も無くまた、潮が満ちていたため見つけられなかった。

田辺震洋基地 (13)
さらに付近には、不自然な小屋があり

田辺震洋基地 (14)
奥には壕があるようだ。

田辺震洋基地 (15)
さらに石で塞がれた壕もある。

田辺震洋基地
岬入口の写真。写真の左手に石で塞がれた壕がある。
地質や地形から、この道路や家のある辺りは戦後に埋め立てられた様であり、探せばまだ壕がある可能性もある。
アクセスは、田辺駅から12系統、または白浜駅から11系統のバスで「内の浦」下車すぐ。

紀伊田辺に残る震洋基地の場所はこちら

和歌山陸軍墓地

歩兵第61連隊門柱のある場所から、南へ約600mの位置に和歌山陸軍墓地がある。
和歌山陸軍墓地には現在、和歌山県平和祈念資料館があり、忠霊塔と合葬碑が残っている。

和歌山陸軍墓地 (6)
和歌山陸軍墓地の全景。手前の燈篭には、功勲広大(左)と遺徳無量(右)の文字が彫られており、昭和16年8月、愛国婦人会和歌山県支部が寄進した。

和歌山陸軍墓地
入ってすぐ左にある、「兵器ハ命」の碑

和歌山陸軍墓地 (2)
境界石も一緒に飾られている。

和歌山陸軍墓地 (3)
忠霊塔昭和16年1月建立 燈篭は昭和18年2月和歌山県紡績連合会によって建立され、左には振武八紘、右には遺名万世と彫られている。

和歌山陸軍墓地 (5)
忠霊塔のアップ

和歌山陸軍墓地 (4)
忠霊塔の左にある合葬碑 昭和16年11月30日建立

和歌山陸軍墓地 (7)
忠霊塔の背後に残る石垣。陸軍墓地の物と思われる。

和歌山陸軍墓地の場所はこちら
プロフィール

kan

Author:kan
酒とトリ貝刺と、南蛮漬けをこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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