別府海軍病院

別府市国立にある別府医療センターの前身は、別府海軍病院である。
別府医療センターの沿革を見ると、
大正14年 1月  亀川海軍病院として創設
昭和10年 4月  速見郡亀川町が別府市に編入されたため、別府海軍病院と名称変更
と書かれている。
小倉陸軍病院別府分院から遅れること14年、近くに大きな海軍基地の無い別府に海軍病院が建てられたのは湯治の効果が認められたからであろう。

別府海軍病院 (2)
JR亀川駅には、戦前の地図が展示されている。

別府海軍病院 (1)
海軍病院の記載もある。

別府海軍病院 (3)
海軍病院の写真もある。

別府海軍病院 (8)
門柱。詳細は不明だが当時の物ではないかと感じる。
上記写真の門柱よりは低いが、形状は似ていると思う。
ただ、背景の状態から正門の場所とは違うので裏門であろうか?

別府海軍病院 (9)
もう一方の門柱。

別府海軍病院 (10)
上部には御影石が使われている。これも、当時の物だと推測する理由である。

別府海軍病院 (12)
更にその近くには、通用門と思われる門柱がある。

別府海軍病院 (11)
門柱のアップ。

別府海軍病院 (5)
駐車場の一角にある建物。もしや?と思って確認すると、

別府海軍病院 (6)
表札に、財第118号 爆発性及引火性物品○○(納所)? 昭和6年11月と書かれていた。

別府海軍病院 (4)
奥行はあまりない。

別府海軍病院 (7)
これも、当時の物だと思うが、詳細不明

別府海軍病院 (13)
石碑。風化しているのと、学が無いのと、立ち止まっていたら蚊に刺されまくるのでゆっくり見れなかったが、伏見の宮殿下が関係している様であり、昭和5年3月建立

別府海軍病院 (16)
病院の敷地内にある職員専用駐車場は石造りの塀で囲まれており、門柱がある。
病院長官舎の門柱と塀ではないかと推測する。

別府海軍病院 (17)
内側から見る。

別府海軍病院 (18)
木戸だったのだろう、金具がそのまま残っている。

別府海軍病院 (14)
もう1つある門

別府海軍病院 (15)
草に覆われて見難いが、同じ形である。

爆発物及引火性物品納所の場所はこちら
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小倉陸軍病院別府分院

JR別府駅近く、上田の湯町には小倉陸軍病院別府分院があった。
こちらのブログには、明治43年着工し、45年2月に開院したと書かれており、以前紹介した傷兵院が昭和11年開院であるので、それより25年も前に開院している。

小倉陸軍病院別府分院 (4)
上田の湯公民館横の坂には、

小倉陸軍病院別府分院 (5)
門柱が片方だけ残っている。

小倉陸軍病院別府分院 (6)
この石積みも当時の物だと思われる。

小倉陸軍病院別府分院 (7)
境界石も有るのでは?と探したが、この状態じゃ有っても分からない・・・

小倉陸軍病院別府分院 (2)
更に、九日天通りには通用門と思われる物が残っている。

小倉陸軍病院別府分院 (1)
正面から見る。小倉陸軍病院別府分院の遺構で間違いないと思うのだが・・・

小倉陸軍病院別府分院 (3)
右方向から見る。

小倉陸軍病院別府分院門柱の場所はこちら

佐伯海軍航空基地跡に残る門柱

以前、悲報 佐伯航空隊門柱が放置されている!として報告した 佐伯航空隊門柱を再度紹介する。
以前は、日本文理大付属高校の塀の一部として残っていた門柱であったが、道路拡張に伴い撤去された。
その門柱の所在は不明であったが、放置されているのを偶然に見付けた!

悲報 佐伯門柱 (1)
地下壕の入り口を見付け、それを撮ろうとしたら、そこに門柱はあった・・・
(学校関係者の方に許可を得て敷地に立ち入り撮影しています。必ず許可を得た上で立ち入り撮影した下さい。)

悲報 佐伯門柱 (2)
う~ん・・・もう少し丁寧に撤去できなかったのか?

悲報 佐伯門柱 (3)
門柱頂部が壊れてしまっている・・・

悲報 佐伯門柱 (4)
「佐伯市平和祈念館やわらぎ」で保存する話は有る様だが、いつまで放置されるのだろうか?

佐伯門柱もう片方
道路反対側に残るもう一つの門柱

もう一つの門柱の場所はこちら

佐伯海軍航空基地跡に残る指揮所

掩体壕の南には佐伯航空隊の指揮所と言われる建物が残っている。
詳細は不明だが、佐伯海軍航空隊が開隊した昭和9年頃に建てられた物だろう。

佐伯指揮所 (1)
掩体壕から来て、最初に見える風景

佐伯指揮所 (3)
左側面を見る。

佐伯指揮所 (2)
左後方。季節柄草が茂っており、裏には廻れず・・・

佐伯指揮所 (9)
正面から見る。

佐伯指揮所 (4)
右斜め前から見る。

佐伯指揮所 (5)
右側面

佐伯指揮所 (6)
内部の様子

佐伯指揮所 (7)
状態は悪い。

佐伯指揮所 (8)
床は崩れ落ちている。

佐伯指揮所 (11)
建物自体はコンクリート製なので、すぐに崩れることはなさそうだが、早めに対処しないといけないだろう。

佐伯指揮所 (10)
付近のコンクリート。当時の物だと思うのだが・・・

佐伯海軍航空基地跡に残る掩体壕

(株)興人の佐伯工場は佐伯海軍航空基地跡地にあり、掩体壕と指揮所が残っている。
佐伯海軍航空基地には、当時日本最大の軍港であった呉への敵侵入を防ぐのと、豊後水道の哨戒のため昭和9年12月に佐伯航空隊が開隊した。
太平洋戦争開戦前には、空母機動部隊が佐伯湾で訓練を行っている。
事前に申請をすると見学させて頂ける。(要確認)

佐伯掩体壕1 (1)
最初に見える掩体壕。見学の際に頂いた資料には、高さ4.5m、幅17.32m、奥行12.52m、天蓋の厚さ0.5mと書かれている。また、この掩体壕のほか2基の掩体壕が確認されていると書かれている。

佐伯掩体壕1 (5)
正面から見る。

佐伯掩体壕1 (3)
海軍の掩体壕の入り口は凸型の形状の物もあるが、これは違う。

佐伯掩体壕1 (2)
この角度で見ると、入り口は凸型以外は海軍で多く見られる造りであることが判る。

佐伯掩体壕1 (4)
後ろを見る。この形状は陸軍には見られない、海軍特有の形である。

佐伯掩体壕2 (1)
1基は、北側すぐ近くにある。

佐伯掩体壕2 (2)
形状は同じである。

佐伯掩体壕2 (3)
左前から見る。

佐伯掩体壕2 (4)
正横から見る。

佐伯掩体壕2 (5)
後方の形状がよく判る。

佐伯掩体壕の案内板
掩体壕の説明板
佐伯に航空基地が造られた歴史が分かる。
ただ残念なのが、飛燕戦闘機が格納されていたと書かれている。飛燕は陸軍の戦闘機だから違うと思うのだが・・・
また、資料に書かれている残りの1基の場所は不明である・・・

(株)興人佐伯工場入り口はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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