fc2ブログ

八幡浜第1防空壕

愛媛県八幡浜市幸町と松本町の境にある愛宕山には、八幡浜第1防空壕が現存している。
この防空壕は、昭和15年5月に起工し、翌年2月に竣工した、四国初の本格的防空壕である。
軍の遺構ではないが、紹介する。
昭和12年4月に防空法が公布され、同年10月より施行された。
これには、「軍以外の者」がおこなう「灯火管制、消防、防毒、避難、救護、並びにこれらに関し必要な監視、通信、警報」の8項目を「民防空」と定義され、各地に防空監視哨などが作られ、戦時中は市民がその任務に就いた。
この防空坊は昭和15年、すなわち皇紀2600年記念事業として、地元の篤志家の寄付などにより建設された。

八幡浜第1防空壕 (14)
八幡浜第1防空壕の入り口。手前にあるコンクリート塀は戦後の物だそうである。

八幡浜第1防空壕 (13)
防空壕は、戦後すぐに貝ボタンの工場が建てられ、その存在は忘れられていたが、平成13年に工場が閉鎖され建物を取り壊した際に発見され、その存在が明らかになった。

八幡浜第1防空壕 (12)
見学の際は、木製の扉に管理されている方が書かれており、そこでカギを貸してもらえる。
現在は市が電気を通しているが、以前は管理されている方の御自宅から電気を引いていたそうである。

八幡浜第1防空壕 (1)
入り口

八幡浜第1防空壕 (11)
内部から見た入り口。爆風が直接入り込まないようになっている。

八幡浜第1防空壕 (2)
防空壕内。一番奥が一段高くなっている。

八幡浜第1防空壕 (3)
奥から入り口方向を見る。写真右には、もう一つの出入口に続く壕が延びる。

八幡浜第1防空壕 (4)
もう一つの出入口に続く壕

八幡浜第1防空壕 (5)
そこにはなんと、洗面台がある!

八幡浜第1防空壕 (6)
壕の内部。この先を左に曲がると、もう一つの出入口がある。

八幡浜第1防空壕 (7)
振り返って見る。写真右奥に洗面台がある。

八幡浜第1防空壕 (8)
この先、左に曲がれば、もう一つの出入口がある。こちらも、直接、爆風が入り込まない造りになっている。

八幡浜第1防空壕 (9)
出入口から内部を見る。

八幡浜第1防空壕 (10)
この防空壕にはトイレがある。あまり地下壕には詳しくないが、トイレのある地下壕は初めて見た。

八幡浜第1防空壕 (15)
もう一つの出入口。
スポンサーサイト



来島砲台水尺

愛媛県今治市波方町には来島砲台の水尺と言われる遺構がある。
水尺とは、潮高による観測誤差を補正するためのものである。
観測所は見通しの良い高所にあり、その高さは初めから分かっているため、そこから敵艦の喫水線の角度を測り、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を使い敵艦までの距離を測る。その際に潮高を水尺で測定する。
ただ、遺構が残っているのでここに水尺があったのは間違いないが、何故にこの位置なのだろうか?
来島砲台でここが見えるのは、(位置的に)中部砲台の観測所だけであり(実際に見えるかは確認していないが・・・)、直距離で約4kmある。28cm榴弾砲の最大射程が7800mであり、実効の射程が4~5000mだと考えると4km先にある水尺は妥当なのかもしれないが、この場所と来島砲台が置かれている小島とでは、ほとんど潮高差はないと思うのだが?
付近は大角海浜公園となっており、キャンプ場もあり、多くの家族連れで賑わっていた。

来島砲台水尺 (1)
キャンプ場から海に向かって歩くと水尺が見える。

来島砲台水尺 (2)
さらに近づく。

来島砲台水尺 (4)
アップで見る。

来島砲台水尺 (3)
付近に設置されている案内板

来島北部砲台観測所

来島北部砲台の左翼には観測所がある。

来島北部砲台観測所 (1)
来島北部砲台最左翼の様子

来島北部砲台観測所 (2)
観測所の下にある掩蔽部

来島北部砲台観測所 (4)
計算機室かと思ったが、伝声管の穴が見当たらないので違うのだろうか?

来島北部砲台観測所 (3)
観測所に向かう階段には当時の手摺の支柱が残る。

来島北部砲台観測所 (5)
階段の様子。見難いが右の壁には手摺用の、その上には電線か電話線を通していたと思われる金具がある。

来島北部砲台観測所 (6)
上から見る。

来島北部砲台観測所 (7)
階段を上ると突き当りに石垣があるが周りと比べて造りが違う。これは後から造ったもので、本来はここから観測所に行く通路があったと推測する。

来島北部砲台観測所 (8)
写真左に写る、観測所に向かう階段も後付けである。元々は下から観測所まで石積みの通路があったが、崩れたためだと思われる。

来島北部砲台観測所 (9)
観測所

来島北部砲台観測所 (11)
観測所内部の様子。内部は埋まっており、状態は良くない。

来島北部砲台観測所 (10)
前方から見る。

来島北部電燈所

前回のコラムに書いたとおり、10年来の希望が叶い北部電燈所に辿り着く。
この電燈所自体の状態は良いが、まったく整備されておらず、落ち葉が積もっている。
これらを除去すれば素晴らしい歴史的遺産になるだろう。

来島北部電燈所 (1)
全体的には石造りであり、格納庫(掩蔽部)は正面になく直角に曲がって作られている。

来島北部電燈所 (2)
格納庫(掩蔽部)入り口部分のアップ

来島北部電燈所 (7)
振り返り、来た方向を見てみる。

来島北部電燈所 (3)
内部の様子

来島北部電燈所 (6)
一番奥には電燈井がある。

来島北部電燈所 (4)
電燈井を下から見る。

来島北部電燈所 (5)
奥から入り口方向を見る。

来島北部電燈所 (8)
石積の一部は、染み出した石灰質で鍾乳石化している。

来島北部電燈所 (16)
階段を上がると正面には、何かを止めていた金物がある。残っている木材は当時のものだろうか?

来島北部電燈所 (9)
右に曲がると、電燈井がある。

来島北部電燈所 (10)
電燈井の手前左には窪みが

来島北部電燈所 (11)
右には階段がある。

来島北部電燈所 (12)
電燈井

来島北部電燈所 (14)
照明座の様子

来島北部電燈所 (15)
これでも竹とか除去したんですよ!
倒木は長過ぎで1人の力では無理だし、枯れていない木は重いし、チェンソーでも持っていかないと無理ですわ・・・

来島北部電燈所 (13)
照明座の外には、ほとんど埋もれてしまっているが、、煉瓦で作られた円形の窪みがある。

来島北部砲台24㎝カノン砲座

北部発電所から、さらに進むと北部砲台24cmカノン砲座がある。
9cm速射カノン砲座は、1つの砲座に2門が備えられていたが、こちらは1つの砲座に1門が備え付けられ4つの砲座があった。

この砲座は砲台が廃止となって1年半ほど経った大正15年8月に飛行機の爆撃演習の標的となり、かなり破壊されている。
「芸予要塞爆撃飛行演習に海面警戒の為艦艇派遣に関する件」 レファレンスコード C04015135800 によると、演習は大正15年8月15日~20日(21日予備日)で、参加兵力は飛行第7連隊の丁式ニ型爆撃機2機、予備として乙式一型偵察機1機、15、16日は海軍の雷撃機2機が参加となっている。
目的は、芸予要塞24cmカノン砲台に対し、爆弾効力及び爆撃法を研究す。とあり、演習期間中は広島東練兵場を飛行場として概ね1日3回の爆撃を行った。
演習の概要は、8月15、16日及び19、20日は50kgと200kg爆弾を、17日は100kg爆弾を、18日は50kg、100kg、200kg爆弾を投下し、21日の予備日は、状況により静止爆破となっている。

しかし、爆撃演習での被害は軽微であったと言われている。
これにはいくつかの理由が考えられる。
まず、飛行機の性能がまだ低かった。
爆撃に使用された丁式ニ型爆撃機の最高速度は156kmで、実際に爆撃する際はさらに低速だったのではないだろうか?
当時は照準など爆撃法も幼稚かつ、爆弾自体の性能も良くなかったと思われる。
使用した爆弾は50kg、100kg、200kgらしいが、24cmカノン砲弾は約150kgあり、戦艦の様に同等の攻撃に耐えられるように設計してあるとしたら、200kg爆弾以外は効果が無かったのではないか?さらに、命中率を上げるために、低速、低高度だったと思われ、そこから落とされた爆弾は掩蔽を貫く威力が無く、表面で破裂したのではないか?

2001年に仮称城館学会が発行した「城館研究論集 発刊準備号」に、角田 誠氏が「芸予要塞大久野島砲台・来島砲台の構造」として発表した論文中、「第1・第2砲座及び第2・第3砲座間の横墻は意図的に破壊された跡が見られる。案内板では、爆撃演習の時の被弾の跡である。としているが、現状を見る限り、内部から爆破されたものである。米軍の命によって全国の旧軍要塞が爆破されたが、これはこの時のものであろう。」(本文を註記により編集)と書かれているが、他の砲台が破壊されず、北部砲台の24cmカノン砲座のみが破壊されているいるのは解せず、予備日(21日)に爆破が行われたものだと思われる。
現在も95年前に行われた演習で爆破されたままの状態で残っている。

来島北部24cm砲座 (1)
まず最初に見える光景。便宜上、手前(最右翼)の砲座を第1砲座とし、次を第2、第3、第4砲座として紹介する。

来島北部24cm砲座 (2)
第1砲座。砲座に上がるスロープ下にも、即用弾丸置き場がある。

来島北部24cm砲座 (3)
角度を変えて見る。

来島北部24cm砲座 (4)
砲床

来島北部24cm砲座 (6)
第1砲座と第2砲座の間には砲側弾庫がある。

来島北部24cm砲座 (5)
弾庫を正面から見る。

来島北部24cm砲座 (7)
内部の様子。爆撃(工兵による爆破?)で破壊されている。

来島北部24cm砲座 (17)
砲側弾庫から、さらに奥を見る。

来島北部24cm砲座 (8)
砲床。第1砲座と違い、左右につながる伝声管の穴がある。

来島北部24cm砲座 (9)
第2砲座と第3砲座の間の砲側弾庫。こちらは激しく破壊されている。

来島北部24cm砲座 (10)
第3砲座

来島北部24cm砲座 (12)
砲座には転落防止の手摺があったことを示す、手摺の支柱が残っている。

来島北部24cm砲座 (13)
第3砲座を反対方向から見る。

来島北部24cm砲座 (15)
第3砲座と第4砲座の間にある砲側弾庫は破壊されたままの状態で残っている。


来島北部24cm砲座 (14)
正面から見る。

来島北部24cm砲座 (11)
内部の様子

来島北部24cm砲座 (16)
第4砲座
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。
著作権は本ブログにあります。使用する場合は御一報ください。(お断りする場合もございます。)
また、使用を許可した場合でも、本ブログ名を明記してください。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR