浜田陸軍墓地
浜田陸軍墓地は現在、長沢公園となっている。
陸軍墓地に向かう途中にある境界石。頂部にMが彫られ、正面には第16号と彫られている。

浜田陸軍墓地の碑。これはもちろん戦後の物

浜田陸軍墓地の碑の右下にも、境界石がある。
ここの境界石はこのタイプの物で、他にも同じ物がいくつか見つかった。
階段を登ると、まずは日露戦争で亡くなった下士官14名、兵卒17名の墓石がある。
その隣には、同じく日露戦争で亡くなった将校9名の墓石がある。
下士官兵の墓に比べて、状態は悪い。また、日露戦争での戦病死者の数が、これだけとは考えられないので、他は合葬碑になっているのだろう。
さらに一段上がると、北清事変(義和団の乱)で亡くなった人の墓がある。
ここには、兵卒203名の墓がある。
反対側から見る。地面がコンクリートに替えられてている。
さらに階段があり、
その上には、日清日露戦役陣没将卒之碑がある。
日清戦争時は、広島に兵営を置いており、合葬墓は広島(比治山)陸軍墓地にあるのだが、わが聯隊の英霊をいつでも拝める様に、ここに建立したのであろう。

碑の前にある燈篭。思ひ起す 国の光や さくら花 と書かれている。昭和5年3月10日(陸軍記念日)建立。

碑を鎖で囲っていただろう支柱にも、☆マークが付いている。
浜田陸軍墓地の場所はこちら


浜田陸軍墓地の碑。これはもちろん戦後の物

浜田陸軍墓地の碑の右下にも、境界石がある。
ここの境界石はこのタイプの物で、他にも同じ物がいくつか見つかった。








日清戦争時は、広島に兵営を置いており、合葬墓は広島(比治山)陸軍墓地にあるのだが、わが聯隊の英霊をいつでも拝める様に、ここに建立したのであろう。

碑の前にある燈篭。思ひ起す 国の光や さくら花 と書かれている。昭和5年3月10日(陸軍記念日)建立。

碑を鎖で囲っていただろう支柱にも、☆マークが付いている。
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