野戦砲兵第9連隊 その3

金沢駐屯地史料館「尚古館」の周辺には多くの記念碑などが展示されている。
しかし、案内の方も言われていたが、旧兵営跡に残っていた物を引き取り手も無くなり、巡り巡って金沢駐屯地が引き取った物も多数あるようで、野戦砲兵第9連隊ではなく、他兵科の物が見られた。

金沢駐屯地内 (4)
日露戦役凱旋紀念之碑 詳細は不明

金沢駐屯地内
台座の石には、「忠」や「義」、「質」「信」の字が書かれている。ただし、後から作られた可能性もある。

金沢駐屯地内 (2)
愛馬之碑 昭和3年3月建立 こちらも詳細不明

金沢駐屯地内 (3)
御大典紀念の碑 これはもちろん昭和天皇即位の礼の記念碑であろうが、詳細不明。

金沢駐屯地内 (5)
遥拝所の石柱 
勅諭御下賜五十周年紀念 昭和七年四月二十日 第●中隊 昭和八年除隊兵一同 と書かれている。

金沢駐屯地内 (6)
陸軍省と書かれている、境界石と思われる石柱。この下には所轄地と書かれていた可能性もある。

金沢駐屯地内 (7)
昭和七年一月四日 勅諭下賜五十年記念の碑 これも詳細は不明 

金沢駐屯地内 (8)
月桂樹と書かかれている碑 
碑面を見ると、日露戦争参加の顕彰碑の様だが、日露之役我砲兵隊従軍遠征・・・の文字が読める。
ただ、騎兵第九連隊長 騎兵中佐・・・とあるので、詳細は分からない。

金沢駐屯地内 (10)
大正天皇御駐●● こちらも詳細不明

金沢駐屯地内 (13)
灯篭 将校集会所庭園にあった物と思うが、詳細不明

金沢駐屯地内 (11)
鬼瓦 これも詳細不明

金沢駐屯地内 (12)
砲弾 ごめんなさい、これも詳細不明。
はい、すべて詳細不明です・・・
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野戦砲兵第9連隊 その2

金沢駐屯地の史料館である尚古館は、明治31年に建てられた野戦砲兵第9連隊の将校集会所である。

尚古館 (2)
尚古館の入口

尚古館
入口には門柱があり、その手前には立哨小屋がある。

尚古館 (10)
表札のある門柱のアップ もちろん、移設された物である。

尚古館 (9)
袖門のある門柱のアップ 状態は悪い。
この門柱であるが、案内の人の話では、どこにあった門柱かはわからないとの事である・・・

尚古館 (3)
立哨小屋 これも状態は良くない。

尚古館 (5)
将校集会所の正面アップ オリジナル度は分からないが、かなり洒落た造りである。

尚古館 (7)
正面出入り口部分

尚古館 (4)
正面側を真横から見る。

尚古館 (8)
側面部分

尚古館 (6)
背面(だったはず)

野戦砲兵第9連隊 その1

陸上自衛隊金沢駐屯地は、野戦砲兵第9連隊跡地にあり、いくつもの遺構が残っている。
野戦砲兵第9連隊は、明治29年に名古屋で編成着手し金沢に転営、明治31年10月に発足した。
明治36年には山砲兵第9連隊に改編され日露戦争に参加した。
日露戦争では、明治37年5月に動員下令され、旅順攻略戦、奉天会戦に参加。奉天会戦では連隊長戦死の激戦を行い、明治39年凱旋。
大正3年から2年間、朝鮮駐劄。大正10年シベリア出兵に参加し、翌年凱旋した。
昭和7年、上海事変に参加。10年からは満州駐劄、日中戦争では上海付近の戦闘の後、敵を追撃し南京攻略、徐州、武漢攻略戦参加後、昭和14年6月に復員下令された。
翌15年、満州派遣が命ぜられ、ソ満国境警備に当たる。
太平洋戦争末期の昭和19年、第1大隊をトラック諸島に派遣、連隊主力はサイパンに派遣命令が下るも、同島が陥落し、沖縄に変更され陣地構築中、台湾への移動命令を受け、この地で終戦を迎えた。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

まずは駐屯地の周囲から見える遺構を紹介する。

野砲9その1
駐屯地の正門から南に向かって進むと、倉庫と思われる建物がある。外壁はリフォームされているが、窓の形などから当時の物であろう。

野砲9その1 (2)
こちらは詳細不明。戦後の物かもしれない。

野砲9その1 (7)
砲廠と推測する。

野砲9その1 (4)
その先にはレンガ建築が残る。

野砲9その1 (5)
アップ

野砲9その1 (6)
側面を見る。作りや大きさから覆馬場と推測するが、覆練兵場の可能性もある。

野砲兵第9連隊覆馬場と思われる建物はこちら

輜重兵第9連隊

金沢市平和町には、かつて輜重兵第9連隊の兵営があった。
連隊は明治30年に大隊として名古屋で編成され、金沢に移駐、新設第9師団に所属した。
日露戦争では、第3軍に属し旅順攻略戦、奉天会戦等、主要な戦闘に参加した。
その後、昭和7年の上海事変と昭和10年からの師団満州派遣には、それぞれ1個中隊が出動した。
昭和11年、大隊は連隊に昇格し、翌年から始まった日中戦争には、上海戦を皮切りに南京戦、徐州戦、武漢戦に参加した。
昭和15年、師団と共に満州に移駐した。戦争末期の昭和19年6月に沖縄へ転用されたが、同年末には台湾に転用され、同地で終戦を迎えた。
兵営跡は住宅地になっており、遺構はほとんど無いと思われるが、平和神社には営内にあったと思われる輜勲神社の石柱と馬魂碑が残されている。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

輜重兵9連隊 (3)
境内にある、輜勲神社の石柱 神社からは、後に作り直されている。

輜重兵9連隊 (2)
裏面には、昭和11年と書かれている。

輜重兵9連隊
馬魂碑 陸軍中将 蓮沼 蕃書と書かれている。蓮沼中将は昭和11年12月から翌年8月までの師団長である。

金沢駐屯地内 (9)
陸上自衛隊金沢駐屯地内に移設されている、記念碑記
碑文を読むと、昭和12年7月7日、盧溝橋事件を契機として支那事変の勃発・・・吾が輜重兵第9連隊も亦参戦の栄を荷う・・・とある様に、日中戦争参加の記念碑であろう。昭和14年11月建立

平和神社の場所はこちら

金沢陸軍墓地 その2

墓地の左半分は合葬碑があるが、最初からこの位置だったのか、戦後に並び変えられたのかは不明。
向かって右から古い順に並んでいる。

金沢陸軍墓地2 (3)陸軍軍人合葬之墓 明治26年3月建立  
全く同じ墓標であるので、どちらかが移設された物であろうか?

金沢陸軍墓地2 (4)
征清役病歿軍人合葬碑(右)、征清役戦死軍人合葬碑 明治30年4月27日建立

金沢陸軍墓地2 (6)
日露役陣歿者合葬碑 昭和12年5月建立
元々は他の陸軍墓地同様、将校同相当官、准士官、下士官並びに軍属、兵卒並びに軍属に区別されていたが、改修し1基に合葬した。

金沢陸軍墓地2 (9)
上海事件陣歿者合葬碑 昭和7年12月建立

金沢陸軍墓地2 (11)
満州事変陣歿者合葬碑 昭和12年5月建立

金沢陸軍墓地2 (2)
忠霊塔 昭和16年5月建立 正式名称は、支那事変戦没者忠霊塔であるが、現在は戊辰戦争から太平洋戦争までの石川県出身戦没者が合葬されている。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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