陸軍立野原演習場監的壕 その2

先に紹介した監的壕の北約1kmにも監的壕が残っている。

立野原監的壕2 (2)地元ではメダマカンテッコーと言われているらしいが、監的壕がカンテッコーに訛ったのだろう。

立野原監的壕2 (8)監的壕のアップ

立野原監的壕2内部には、かなり大きな石が入っており、鉄筋ではない様である。

立野原監的壕2 (3)背後には出入り口がある。

立野原監的壕2 (7)
内部から出入り口を見る。

立野原監的壕2 (5)監的壕の内部

立野原監的壕2 (6)監視窓から外部を見る。

立野原監的壕2 (4)付近にあった案内板。ノーコメントとしておく。

さて、城端駅から先、立野原演習場付近は公共機関での探訪は難しい。また、事前に問い合わせたところ、城端駅に観光案内があるから監的壕の場所を教えてくれるとの事であったが、訪ねた日曜日は休みで、借りる予定のレンタサイクルも借りられなかった。そうなると徒歩での移動しかなく、完全に遺構の場所を把握していないと行き着けなくなるので、電車で訪ねる人は事前準備をしっかりして訪ねてもらいたい。
また、付近には境界石もある様だが、探せなかった。
このブログを見て訪れる人は、是非とも新たな遺構を発見していただきたいと願う。

立野原演習場監的壕 その2(メダマ監的壕)の場所はこちら
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陸軍立野原演習場監的壕

富山県南砺市には立野原(たてのがはら)演習場があった。
過去の文献を見ても、立野原と立野ヶ原の記述があるが、拙ブログでは立野原で統一させていただく。
明治29年、第9師団新設に伴い砲兵(野砲兵第9連隊)の演習場として、用地が買収された。
現在は監的壕が2つ残っている以外は、大きな遺構は無いようである。

立野原監的壕1
千福公民館の前には、戦捷記念碑がある。詳細は不明だが大正13年建立。

立野原監的壕1 (2)桜ヶ池付近に残る監的壕。

立野原監的壕1 (3)昭和10年代に建築されたと言われているが、頑丈な作りである。

立野原監的壕1 (4)後部にある出入り口の扉。当時の物と思われる。

立野原監的壕1 (5)コンクリートの厚さがお判りいただけるだろう。

立野原監的壕1 (6)監視窓はトーチカの様に段々が付けられている。

立野原演習場監的壕の場所はこちら

富山連隊

富山は明治41年に歩兵第69連隊が兵営を置くが、大正14年の軍縮(いわゆる宇垣軍縮)で、当連隊は廃止となり、代って金沢より歩兵第35連隊が転営してきた。
連隊跡地は富山大学五福キャンパスに、練兵場は富山球場などの運動公園となっている。
先にも述べたように、富山大空襲で市街地は壊滅したため、遺構は残っていない。(発見できなかった)

富山連隊富山球場と富山大学の境にある、富山歩兵連隊跡の碑

富山連隊 (2)
こちらは富山県護国神社にあった、支那事変記念の碑。
詳細は不明であるが、裏面には昭和14年11月3日 連隊長 川久保 鎭馬(注:大佐、昭和14年7月から15年9月まで歩兵第35連隊長)と彫られている。
この碑の詳細は不明だが、支那事変記念や連隊長としか書かれていない事から、兵営内に有った記念樹の碑を移設したのではないだろうか?

富山連隊 (3)
馬魂碑 これは歩兵第69連隊時代に建立された物で、戦後その所在が判らなかったが、
昭和51年に発見され、この場所に移された。

富山陸軍墓地 その2

富山陸軍墓地(忠霊塔)付近に残る遺構を紹介する。
今回、富山陸軍墓地を訪ねるにあたって、ブログ「険酷隧に魅せられて・・・」さんを参考にさせていただいた。

富山陸軍墓地道路から見た陸軍墓地。忠霊塔が聳え立っている。

富山陸軍墓地 (3)陸軍墓地の入口

富山陸軍墓地 (2)見難いが陸軍と彫られている。もちろん移設された物だが、陸軍だけなのか、その下に用地、または省所轄地と彫られているのかは不明。

富山陸軍墓地 (4)
献木紀元二千六百年記念の碑 側面には、桜五十本 楓二本と彫られている。

富山陸軍墓地 (12)手水鉢 洗心の文字と陸軍のマークである☆が記されている。この手水鉢や後ろに見える燈篭(対のもう1基は、一番上の写真に写っている)などは、昭和12年に上市町の渡邊ソデ氏により献納されている。

富山陸軍墓地 (13)
墓地の南西端と思われる境界石。陸軍用地まで読める。上記の境界石とは石質も違い、こちらが陸軍墓地を作った当初の物かと推測する。

富山陸軍墓地

富山市長岡墓地は元々陸軍墓地があった場所であり、忠霊塔や合葬碑が残っている。
富山の市街地は終戦の2週間前に行われた、富山大空襲で市街地は壊滅したために遺構はほとんど残っておらず、富山市に残る貴重な遺構である。
明治41年、富山に歩兵第69連隊が創設されたとき、この地に陸軍墓地が作られた。
現在、個人墓はなく忠霊塔と合葬碑が残っている。

富山陸軍墓地 (11)忠霊塔、合葬碑の全景 忠霊塔を含めて4つの合葬碑がある。


富山陸軍墓地 (6)
正面向かって右にある、上海事件陣歿者合葬碑 昭和7年12月建立

富山陸軍墓地 (7)
右から2つ目の、満州事変陣歿者合葬碑 昭和12年5月建立

富山陸軍墓地 (9)
3つ目は、忠霊塔 昭和16年10月建立 日中戦争以降の戦没者を合葬している。

富山陸軍墓地 (8)
忠霊塔前の燈篭 星や鐙と思われる模様がある。

富山陸軍墓地 (10)
一番左は、陣歿者病死者合祀碑。これは大正14年5月に歩兵第35連隊が、金沢から富山に転営したため、
金沢陸軍墓地に合葬されていた分骨を、こちらに移したもので昭和8年9月建立
(説明は、案内板から抜粋転記)

富山陸軍墓地の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、セロリをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く異様に静電気を恐れる正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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