第1飛行集団司令部

JR岐阜駅の南約1kmにある加納城祉には、第1飛行集団司令部の門柱が残っている。
今回の訪問にあたっては、「大日本者神國也」さんを参考にした。

第1飛行集団司令部 (2)
正門 第1飛行集団司令部は昭和14年8月に東京から岐阜に移転してきた。

第1飛行集団司令部 (4)
向かって右、袖門のある方の門柱のアップ。

第1飛行集団司令部 (3)
左の門柱 門の作りがよく判る。

第1飛行集団司令部
こちらは裏口の通用門

第1飛行集団司令部門柱の場所はこちら
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名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その4

関ヶ原火薬庫鍾乳洞に向かって進むと、3つの洞窟式火薬庫がある。これは手前側の火薬庫。

関ヶ原火薬庫 (2)真ん中の火薬庫

関ヶ原 (4)一番奥(鍾乳洞側)の火薬庫

関ヶ原 (12)その隣には立哨小屋が残っているが、場所的に考えると移設されているのかもしれない。

関ヶ原 (6)奥の火薬庫の内部を見てみる。

関ヶ原火薬庫 (3)中は真っ暗で、一面真っ黒。これ以上入る勇気は無かった。

関ヶ原 (8)
火薬庫入口の横にも出入り口があり

関ヶ原 (10)爆発した時の緩衝の為だろう、この洞窟式火薬庫は二重構造になっている様だ。カマドウマがいっぱい・・・
リンクさせていただいているunderzeroさんに詳しく紹介されている。

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その3

関ヶ原 (21)鍾乳洞への道へ入ると、すぐに切り通しがあり

関ヶ原 (23)
その先にも、立哨小屋がある

関ヶ原 (25)
最初に見た立哨小屋とは微妙に形が違う。

関ヶ原 (26)立哨小屋から小道に入ると洞窟式の火薬庫が2つ有る。手前の火薬庫。

関ヶ原 (2)奥の火薬庫。

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その2

関ヶ原 (5)
門柱を越えて進んで行くと、右手に立哨小屋がある。

関ヶ原 (7)
写真を見てお判りだろうが、立哨小屋が道路に背を向けている。移設だろうか?

関ヶ原 (9)立哨小屋の先には、火薬庫へ通じるトンネルがある。この先に、遺構は見付けられなかった。

関ヶ原 (11)さらに進むと、関ヶ原メナードランド跡地にも火薬庫がある。これは山を掘ったのではなく火薬庫を造った後に盛り土したと思われる。

関ヶ原 (13)道路沿いにもある。

関ヶ原 (15)入口には番号が書かれている。奥の白く塗られている火薬庫が7か所、道路沿いには3か所の入口があり、13,14,15の番号が書かれている。これ以外に、少なくとも5か所の火薬庫がある(あった)と思われる。

関ヶ原 (17)もう1つ火薬庫に通じるトンネル。この中に木造(推定)の火薬庫が建てられていた。

関ヶ原 (19)火薬庫を囲んでいる土塁。

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その1

天下分け目の戦いで知られる関ヶ原には、陸軍の火薬庫があった事はあまり知られていない。
この火薬庫の正式名称は、「名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠」と言うらしく、大正3年に開設され、周囲は6km、面積は約450ヘクタールあった。(案内板より抜粋)
これらの遺構は鍾乳洞付近に残っており、簡単に訪ねる事が出来る。

関ヶ原 (3)関ヶ原駅方面から、鍾乳洞に向かって行くと、右手に門柱がある。

関ヶ原これが、名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠の正門だった様である。

境界石 (2)門柱付近にある小道に入ると、柵の支柱らしきコンクリ柱と石柱がある。

関ヶ原 (20)
石柱を見ると「陸軍境」と彫られている。「陸軍境」とは初めて見たと思うのだが・・・?

関ヶ原 (22)
道路を挟んだ反対側にも、同じく「陸軍境」の境界石があった。
火薬庫の境界を調べて調査すれば、相当数の境界石が残っていると思われる。

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠門柱の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、ニシンの塩焼きをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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