名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その4
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その2

門柱を越えて進んで行くと、右手に立哨小屋がある。

写真を見てお判りだろうが、立哨小屋が道路に背を向けている。移設だろうか?






名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠 その1
天下分け目の戦いで知られる関ヶ原には、陸軍の火薬庫があった事はあまり知られていない。
この火薬庫の正式名称は、「名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠」と言うらしく、大正3年に開設され、周囲は6km、面積は約450ヘクタールあった。(案内板より抜粋)
これらの遺構は鍾乳洞付近に残っており、簡単に訪ねる事が出来る。
関ヶ原駅方面から、鍾乳洞に向かって行くと、右手に門柱がある。
これが、名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠の正門だった様である。
門柱付近にある小道に入ると、柵の支柱らしきコンクリ柱と石柱がある。

石柱を見ると「陸軍境」と彫られている。「陸軍境」とは初めて見たと思うのだが・・・?

道路を挟んだ反対側にも、同じく「陸軍境」の境界石があった。
火薬庫の境界を調べて調査すれば、相当数の境界石が残っていると思われる。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠門柱の場所はこちら
この火薬庫の正式名称は、「名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠」と言うらしく、大正3年に開設され、周囲は6km、面積は約450ヘクタールあった。(案内板より抜粋)
これらの遺構は鍾乳洞付近に残っており、簡単に訪ねる事が出来る。




石柱を見ると「陸軍境」と彫られている。「陸軍境」とは初めて見たと思うのだが・・・?

道路を挟んだ反対側にも、同じく「陸軍境」の境界石があった。
火薬庫の境界を調べて調査すれば、相当数の境界石が残っていると思われる。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠門柱の場所はこちら