熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 その4
宿舎の周りにはいくつかの遺構があるので、それを紹介する。
宿舎の裏には便所がある。
便所の内部。当時とほとんど変わっていないと思われる。
さすがに便器は新しい物だろう。
宿舎と便所の間には防火水槽がある。この写真は下士官室の中から撮った。
営門から見て左奥にも防火水槽がある。
宿舎と便所の間にある建物。これは戦後に建てられた物らしい。
さて、前にも記した様に、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡地は、「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の方の案内で、土曜、日曜、祝日の10:00~16:00の間、見学が出来る。
会員の方は御高齢ながら精力的に活動をされているので、是非とも足を運んでもらいたい。
公共機関での行き方は、桶川駅から桶川市内循環バスの西循環または東西循環(外回り)で、西18 三ツ木バス停下車、徒歩5分。(詳しくはこちら)
また、東武バス 川越04系統 川越駅行きで、柏原バス停下車すぐ。
私が訪ねた時に案内して下さった柳井氏は、元桶川分教場の整備員でいらっしゃった。
実はこの桶川でも特攻隊が編成され出撃している。
陸軍初の練習機で編成された第79振武隊は、昭和20年4月5日に桶川を離陸し知覧へと向かった。
その際、柳井氏は機体整備のため、中継基地である小月基地まで、京都出身の山本少尉(戦死後大尉)の後部座席に乗って行った。山本少尉機は京都で編隊と分離し、低空飛行を行うと、そこには日の丸を振る家族の姿があった。(会報より抜粋)
その後、第79振武隊は4月16日知覧より出撃した。
第79振武隊陸軍軍曹(戦死後少尉)佐藤 新平(享年23歳)
辞世の句 身はたとへ 敵艦船と砕くとも 七度生む あかきこころは
旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会のHPはこちら






さて、前にも記した様に、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡地は、「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の方の案内で、土曜、日曜、祝日の10:00~16:00の間、見学が出来る。
会員の方は御高齢ながら精力的に活動をされているので、是非とも足を運んでもらいたい。
公共機関での行き方は、桶川駅から桶川市内循環バスの西循環または東西循環(外回り)で、西18 三ツ木バス停下車、徒歩5分。(詳しくはこちら)
また、東武バス 川越04系統 川越駅行きで、柏原バス停下車すぐ。
私が訪ねた時に案内して下さった柳井氏は、元桶川分教場の整備員でいらっしゃった。
実はこの桶川でも特攻隊が編成され出撃している。
陸軍初の練習機で編成された第79振武隊は、昭和20年4月5日に桶川を離陸し知覧へと向かった。
その際、柳井氏は機体整備のため、中継基地である小月基地まで、京都出身の山本少尉(戦死後大尉)の後部座席に乗って行った。山本少尉機は京都で編隊と分離し、低空飛行を行うと、そこには日の丸を振る家族の姿があった。(会報より抜粋)
その後、第79振武隊は4月16日知覧より出撃した。
第79振武隊陸軍軍曹(戦死後少尉)佐藤 新平(享年23歳)
辞世の句 身はたとへ 敵艦船と砕くとも 七度生む あかきこころは
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