若松陸軍墓地

兵営の東方にある小田山には忠霊堂がある。
HP「呆嶷館 私設会津部屋分室」さんに書かれている、野試合場の項には、
昭和19年まで若松歩兵聯隊の陸軍墓地で、忠魂碑・日露戦役戦病没将士合祀之碑などがあった。現在は、
市営愛宕山公園となっている。と書かれているので、戦争末期、この場所に移転したのであろう。

若松陸軍墓地 (12)
富士通りを南下し、川を渡ったすぐに案内がある。

若松陸軍墓地 (11)坂道を登ると桜並木があり、その先に忠霊堂がある。

若松陸軍墓地忠霊堂 しっかり管理されていて、状態は良い。
この忠霊堂(納骨堂)を新設するためにこの地に移ったと思われる。

若松陸軍墓地 (4)
日露戦役戦病歿将士合祀之碑 
詳細は不明であるが、多くの陸軍墓地には、将校、下士官、兵卒と合祀碑も分けられているのに、これは将士が一緒になっている。会津若松に兵営が置かれる前、郷土の戦死者を祀った物だったからではないだろうか?

若松陸軍墓地 (6)
忠魂碑 こちらも詳細は不明。戦後移設された物か?

若松陸軍墓地 (3)
軍用動物供養塔 こちらも詳細不明だが、戦後の物ではないだろうか?

若松陸軍墓地 (5)
想い出の塔
会津若松の郷土部隊 歩兵第29連隊はガダルカナル島で勇敢に戦うも、奮闘虚しく玉砕した。
歩兵第29連隊は昭和17年10月24日深夜から総攻撃を開始、翌25日午前4時すぎに最後の突撃を行った。
碑の時計は最後の突撃を行った時間に合わせてある。
ガダルカナルで散華された将兵の霊を慰めるために、最後の総攻撃から30年後の昭和47年10月25日に、旧第二師団福島県勇会により建立された。

若松陸軍墓地 (9)忠霊堂の南西には、門の跡と境界石がある。

若松陸軍墓地 (7)境界石には、陸軍を示す波線一本が彫られている。あくまでも推測だが、石質や文字などから、旧陸軍墓地で使っていたのを、ここで再利用しているのではないだろうか?

若松陸軍墓地 (8)裏面には漢数字で「八」と彫られている。

若松陸軍墓地 (10)さらに北方の民家の塀にも「一四」と彫られた境界石があるが、正面側は塀とくっついていて確認できない。

若松陸軍墓地 (2)元陸軍墓地であった市営愛宕山公園。区画は残っているが、遺構は発見できなかった。

小田山忠霊堂の場所はこちら
旧陸軍墓地の場所はこちら
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若松連隊将校集会所

若松連隊兵跡地の一角には、将校集会所と言われている建物が残っている。
こちらのサイトによれば、明治41年の建築となっており、会津若松に兵営が出来た当初の建物と思われる。
少尉に任官した石原 莞爾は歩兵第65連隊に配属されているので、この集会所を使っていたのだろう。

会津若松将校集会所 (6)戦後は引揚者住宅や独身寮と使用された様だが、現在は使用されていない。
歩兵第20連隊の将校集会所を参考にすると、こちらが正面だと思われる。

会津若松将校集会所 (4)正面を右側から見る。

会津若松将校集会所
こちらが裏口だと思う。建物に囲まれており、集会所の全体を撮るのは困難である。

会津若松将校集会所 (5)集会所入り口 基礎はレンガである事が判る。大きな改装はなく当時の外観を保っていると思われる。

会津若松将校集会所 (2)入口や窓のひさし部分には細工が施されている。

会津若松将校集会所 (3)
正面入り口 残念ながら建物の傷みが激しく、近い将来に取り壊される運命であろう。

若松連隊将校集会所の場所はこちら

若松歩兵連隊

福島県会津若松市にある白虎隊で有名な鶴ヶ城の北側、城前町付近にはかつて、陸軍歩兵連隊の兵営があった。
日露戦争後の軍拡により、明治41年、いくつかの候補地の中から、歩兵第65連隊がこの地に新設された。
しかし、17年後の大正14年の軍縮で連隊は廃止されてしまい、代わりに仙台から歩兵第29連隊が移駐してきた。
昭和12年、日中戦争勃発により歩兵第65連隊は再編成され、上海に上陸、以後、中国大陸を転戦し終戦を迎える。
一方、歩兵第29連隊は昭和6年、満州に移駐。同年9月に勃発した満州事変に参加後、昭和8年に凱旋帰国し、昭和11年に起きた、2.26事件では帝都で戒厳勤務にあたる。
翌12年に再び満州に移駐し警備の任に就き、昭和14年、ノモンハンでの戦闘に参加する。
昭和15年10月に帰国するが、太平洋戦争勃発により昭和17年1月に南方に出発。
ジャワ攻略戦に参加後、ガダルカナル島上陸し米軍相手に奮闘するも、同年10月29日に玉砕する。
(わが連隊、ノーベル書房より抜粋)

現在残っている遺構も、歩兵第65連隊新設当時に造られた物と思われ、連隊廃止後、歩兵第29連隊も使用しているので、若松連隊の名称を使用する。

 若松歩兵連隊  (5)若松連隊の門柱 オリジナルの場所にあると思われ、現在は会津若松第二中学の校門となっている。

 若松歩兵連隊  (2)
門柱はこの時代に造られた標準的な形であり、表札を掛けるフックが残っている。

 若松歩兵連隊  (3)門柱の前にある謎の敷石と、その手前には、境界石だろうか?石柱がある。(文字は確認できなかった)

 若松歩兵連隊  (4)門柱を斜め方向から見る。さて、門の間に見えている建物であるが、直感では陸軍遺構に思える。

 若松歩兵連隊 いろいろ調べても、連隊の建物は将校集会所しか残っていないとされているが、これもそうではないだろうか?

 若松歩兵連隊  (6)また、門柱の斜め正面にある宮泉銘醸さんも、兵舎を移築し酒蔵として使っているが、本来の姿が想像できない程に改装されている。

若松連隊碑
練兵場跡地には、若松連隊記念碑が建てられている。

若松歩兵連隊門柱の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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