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陸軍新田飛行場

太田市新田市野倉町には、陸軍新田飛行場があった。
新田飛行場は昭和13年に完成し、熊谷陸軍飛行学校新田分教場として使用された。
詳細は不明だが、95式練習機を使用して基本操縦訓練を行っていたようで、それ以外の機体が所属していたかは不明。
文林堂 「世界の傑作機 NO73 陸軍95式練習機」の48ページには、昭和17年9月に第3回航空日を記念して、同分教所で学ぶ少飛10期生が編隊飛行を行っているシーンが、52ページには、空中衝突した2機が、71ページには、昭和18年に助教を務めた少飛10期の中垣伍長が受け持った少飛13期生と共に、95練習機が写っている。
その、陸軍新田飛行場であるが、遺構は少なく、着陸訓練施設鎮碇と言われる着陸訓練用の施設しか残っていないようである。
今回の訪問は、上州東毛 無軌道庵さんを参考にさせていただいた。

新田飛行場 (6)
唯一残っている、着陸訓練施設鎮碇。当たり前のように書いているが、実はこの名称も知らなかった。

新田飛行場 (1)
何故か、ここだけが影になっている・・・

新田飛行場 (2)
同じ物が知覧にも残っている。

新田飛行場 (3)
正面から見る。

新田飛行場 (7)
これを、どのように使っていたのだろうか?

新田飛行場 (8)
かなり大きな石も混じっており、戦争末期に作られた物だろうか?

新田飛行場 (4)
鉄筋は使われていたようである。

新田飛行場 (5)
小石の混じったコンクリに鉄筋の入っていた筋が残っている。

陸軍新田飛行場着陸訓練施設鎮碇の場所はこちら
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太田市イオンモールに移設展示されている高射砲砲座

太田市イオンモール大田の敷地内には、イオンモール建設に伴う発掘調査の際に見付かった高射砲砲座が移設展示されている。
SACの部屋さんを参考にすると、大田には独立高射砲第4大隊が配備され、中島飛行機の工場を防衛していた。

太田市高射砲 (2)
移設された砲座

太田市高射砲 (3)
ここには、第3中隊が布陣しており、99式8cm高射砲6門が配置されていたようである。

太田市高射砲 (1)
砲床部分 八角形である。

太田市高射砲 (4)
平成29年11月下旬、太田市新道町の民家駐車場で高射砲の砲座が見付かった。
あわよくば!と現地に行ったが、もう、埋められていた・・・
話を伺ったところ、イオンモールにある砲座と同じ形で、住宅の下にまで砲座の基礎があるらしい。

太田市イオンモールに移設展示されている高射砲砲座の場所はこちら

長野原町防空監視哨

群馬県長野原町大津には、長野原町防空監視哨と呼ばれている遺構が残っている。
この遺構も、聴音壕と言われている。

原町防空監視哨 (8)
長野原町防空監視哨は道路からも見えるので、場所さえ分かっていれば迷うことは無いだろう。

原町防空監視哨 (5)
防空監視哨の出入り口

原町防空監視哨 (7)
階段が付いている。

原町防空監視哨 (4)
出入り口のアップ

原町防空監視哨 (6)
出入り口内部の様子

原町防空監視哨 (3)
上から見る。

原町防空監視哨 (2)
内部の様子。レンガ造りなのが分かる。

原町防空監視哨 (1)
こちらも、周りは山に囲まれている。せめて、山の頂上に作った方が見渡しが良いと思うのだが・・・

長野原町防空監視哨の場所はこちら

花輪防空監視哨

みどり市東町花輪には防空監視哨が残っている。
みどり市のHPによると、この防空監視哨は、前橋の防空監視隊本部管下の10箇所の監視哨の1つとして昭和17年に造られた。防空監視哨は、地下式のコンクリート製の簡易集音壕と詰所からなっていたが、現在は簡易集音壕のみ残されている。

花輪防空監視哨 (1)
みどり市指定史跡になっている。

花輪防空監視哨 (2)
簡易集音壕の全景

花輪防空監視哨 (3)
反対側から見る。

花輪防空監視哨 (4)
簡易集音壕の基礎は八角形であるのは、糸満市防空監視哨跡と同じである。

花輪防空監視哨 (7)
電話線を通した穴だろうか?

花輪防空監視哨 (8)
実はとても疑問に思うことがある。この場所であるが、周りが山に囲まれているのだ。ここで防空監視をしても山を越えてきた飛行機しか見えないし、音も聞こえにくいだろう。また、海沿いに配置されているのなら分かるが、この場所は本州のほぼ真ん中に位置している。ここで、敵を探知する以前に、多くの都市の上空を敵機が通過して来ているはずである。何故にこの場所なのだろうか?

花輪防空監視哨 (5)
こちらにも山が、

花輪防空監視哨 (6)
そして、こちらにも山があり、全周、山に囲まれている。

花輪防空監視哨の場所はこちら

迫撃第1連隊門柱

群馬県沼田市上原町付近には、迫撃第1連隊の兵営があった。
この迫撃第1連隊は、昭和16年に松江から沼田に移駐して来たことくらいしか判らなく、地元では東部第41部隊と呼ばれている様である。

迫撃1連隊 (1)
現在は一対の門柱のみが残っている。

迫撃1連隊 (4)
向かって左の門柱

迫撃1連隊 (3)
戦後の金属不足の際に取られたのだろうか?ヒンジの部分がえぐられている。

迫撃1連隊 (5)
向かって右の門柱

迫撃1連隊 (2)
反対から見る。こちらもヒンジ部分がえぐられている。

迫撃1連隊 (6)
兵営の内側から見る。それぞれに土留があるので、袖門は無かったようである。
資料不足ではっきりしないが、裏門(通用門)の可能性もあり。
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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