歩兵第106連隊門柱

加古川市山手には歩兵第106連隊の兵営があった。
実は、特設連隊は出征している連隊の留守隊から編成され、歩兵第1連隊の留守隊から編成された連隊は、歩兵第101連隊。34連隊留守隊から編成されたのは、134連隊であると思っていたし、調べてみると、多くの連隊がそのようになっており、違ったとしても同じ常設師団管区で編成されている場合が殆どである。(100番台連隊の場合)
しかし、歩兵第6連隊は兵営を名古屋に置く、加古川とは縁の無い連隊である。何故、106連隊はこの地で編成となったのだろうか?
加古川に兵営が置かれたのは、加古川飛行場や高射砲第3連隊など陸軍の施設が近くにあったからだと推測する。
連隊は昭和19年1月に朝鮮へ移駐し、兵営は航空通信学校神野教育隊となった。
もちろん今回も「大日本者神國也」さんを参考にしている。

歩兵106連隊 (9)
営門門柱 現在は、甲南加古川病院の門として使われている。

歩兵106連隊 (5)
向かって右の門柱

歩兵106連隊 (8)
内部から見る。ヒンジが残っている。

歩兵106連隊 (6)
左の門柱

歩兵106連隊 (7)
内部から見る。こちらもヒンジは残っているが、状態は良くない。

歩兵106連隊 (10)
通用門の物と思われる土留
今回は行けなかったが、山手中学の敷地内には、陸軍の消火栓が残っているらしい。

歩兵106連隊 (11)
歩兵第百六連隊之碑

歩兵106連隊 (4)
兵営の石積みと外周にある排水溝

歩兵106連隊 (2)
近くの畑には、境界石を流用して作られた橋がある。これを見つける盡忠報國氏の洞察力と言うか観察眼には脱帽です!

歩兵106連隊 (1)
これは上向きに陸軍とあるが、型にコンクリートを流し込んだタイプの物である。

歩兵106連隊 (3)
こちらは横向きに置かれている。

歩兵第106連隊門柱の場所はこちら
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加古川陸軍射撃場

加古川市上荘町には、加古川陸軍射撃場があった。
この射撃場が造られた時期は不明だが、加古川陸軍飛行場の開設が昭和12年、高射砲第3連隊の新兵舎が昭和13年に完成しているので、その頃に作られたと推測する。
はい、今回も「大日本者神國也」さんの完全コピーです。

加古川射撃場 (2)
番宅(管理棟)と思われる建物

加古川射撃場 (1)
その前にある井戸。当時の物かは不明。

加古川射撃場 (3)
道路側から見る。どう見ても普通の住宅で、情報が有っても見逃すだろう。

加古川射撃場 (4)
標的庫若しくは機材庫と思われる。

加古川射撃場 (5)
アップ

加古川射撃場 (6)
反対から見る。

加古川射撃場 (7)
射撃場敷地の周りには、人為的に造られた土堤と、排水溝らしい溝がある。

加古川陸軍射撃場の場所はこちら

加古川陸軍飛行場

加古川市尾上町には、加古川陸軍飛行場があった。
個人的なことではあるが、私は加古川と言う地名を知ったのは陸軍の飛行場があったからで、初めて加古川に足を運んだのは、当時、JM加古川ジムに所属していた西岡利晃(後のWBC世界スーパーバンタム級チャンピオン)の日本タイトルマッチを観に行った時である。どうでもいい話ですが・・・
その加古川飛行場は、昭和12年に工事が始まり、昭和13年に使用開始となる。
その後、実施部隊も駐留したようだが、他所に移転し、後半は教育部隊が主役となったようで、本土防空戦でも加古川飛行場の名称を目にすることは少ない。
跡地は工場になっており、詳細は不明だが大きな以降は皆無の様である。
今回の訪問に際して、「大日本者神國也」さんを参考にした。

加古川飛行場 (3)
民家の庭の畑に残る境界石。彫られた文字は「陸軍」だけであろうか?ただ、移設なのでは?と感じた。

加古川飛行場 (4)
こちらは、文字が読めないため、飛行場の物かは不明

加古川飛行場 (5)
頂部には、境界を示す線がある。

加古川飛行場 (6)
更に、門柱が片方だけ残されている。これは、飛行場のの門柱を移設したと推測するも、詳細は不明

加古川飛行場 (8)
反対から見る。門柱の両脇にヒンジがある様である。

加古川飛行場 (7)
また、表札を掛けるフックらしき金属もある。

加古川飛行場 (9)
工場敷地内にある、防火水槽と思われる貯水槽。当時の物かは不明。

加古川飛行場 (1)
飛行場から東に約1km、拙ブログ第4回目に公開した「陸軍航空通信学校尾上教育隊」に隣接して作られた、加古川第一陸軍病院の物と思われる境界石が残っている。

加古川飛行場 (2)
頂部に境界を示す線がある。

加古川陸軍飛行場の営門かも?と思われる門柱の場所はこちら

高射砲第3連隊付近の遺構

連隊跡地の周辺には、橋の名前に名残がある。

加古川橋
跡地の北西にある橋は、

加古川橋 (3)
連隊橋と名付けられ、

加古川橋 (4)
昭和13年6月に竣工している。
加古川橋 (5)
反対側の欄干は、もう何と書かれているのか読めない。

加古川橋 (2)
さらに、敷地南西には、

加古川橋 (6)
訓練橋があるが、これは当時の物ではなさそうで、名前だけが残っていると考える。

高射砲第3連隊建物


製作所にはいくつかの遺構が残っているらしいが、詳しい記録が無く分からない物も多いそうである。
製作所内の見学は、何度も交渉して実現した。関係者の方には、この場を借りてお礼申し上げます。

高射砲3連隊建物 (4)
これは、当時の建物と言われている。

高射砲3連隊建物
内部の骨組

高射砲3連隊建物 (3)
基礎部分に組まれている木材

高射砲3連隊建物 (2)
床は滑り止めであろうか?小石が埋め込まれている。

高射砲3連隊建物 (8)
こちらも当時の物か?

高射砲3連隊建物 (7)
内部の様子

高射砲3連隊建物 (5)
南側の門から見える建物。

高射砲3連隊建物 (9)
当時の建物っぽいが、違うか・・・

高射砲3連隊建物 (6)
案内してくれた方の話だと、こちらも当時の建物で、訓練講堂だったと言われているが、詳細は不明。

高射砲3連隊建物 (10)
敷地の外から見る。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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