高射砲第3連隊付近の遺構

連隊跡地の周辺には、橋の名前に名残がある。

加古川橋
跡地の北西にある橋は、

加古川橋 (3)
連隊橋と名付けられ、

加古川橋 (4)
昭和13年6月に竣工している。
加古川橋 (5)
反対側の欄干は、もう何と書かれているのか読めない。

加古川橋 (2)
さらに、敷地南西には、

加古川橋 (6)
訓練橋があるが、これは当時の物ではなさそうで、名前だけが残っていると考える。
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高射砲第3連隊建物


製作所にはいくつかの遺構が残っているらしいが、詳しい記録が無く分からない物も多いそうである。
製作所内の見学は、何度も交渉して実現した。関係者の方には、この場を借りてお礼申し上げます。

高射砲3連隊建物 (4)
これは、当時の建物と言われている。

高射砲3連隊建物
内部の骨組

高射砲3連隊建物 (3)
基礎部分に組まれている木材

高射砲3連隊建物 (2)
床は滑り止めであろうか?小石が埋め込まれている。

高射砲3連隊建物 (8)
こちらも当時の物か?

高射砲3連隊建物 (7)
内部の様子

高射砲3連隊建物 (5)
南側の門から見える建物。

高射砲3連隊建物 (9)
当時の建物っぽいが、違うか・・・

高射砲3連隊建物 (6)
案内してくれた方の話だと、こちらも当時の建物で、訓練講堂だったと言われているが、詳細は不明。

高射砲3連隊建物 (10)
敷地の外から見る。

高射砲第3連隊門柱

加古川市野口町にあるハリマ化成加古川製作所の敷地は、高射砲第3連隊跡地である。
さてこの高射砲第3連隊であるが、あまり詳しい資料が見当たらない。(探せないだけであるが・・・)
いつも参考にしている「日本陸軍兵科連隊」(新人物往来社)にも、詳しい記述は無いが、抜粋すると
高射砲第3連隊 編成地 大津 編成時期 昭和10年3月25日 廃止時 加古川 昭和16年7月7日 高射砲第3連隊補充隊に改称、改編
大阪防空隊高射砲第1連隊 編成地 加古川 編成時期 昭和16年7月16日
となっている一方
昭和15年平時編成は次のとおり、(高射砲連隊の)衛戍地は第4、加古川とも書かれている。 
尚、昭和19年に航空通信学校加古川教育隊となっているようである。
現在は、正門の門柱と通用門?(南門、北門?)の門柱と、陸軍時代の物と言われる建物が残るが、建物に至っては詳細不明であるが、昭和17年4月に火災でほとんどの建物を焼失している様であり、それ以降の建物である可能性が高い。(こちらを参照しました。)

高射砲3連隊門柱 (3)
正門の全景 両側に袖門がある。

高射砲3連隊門柱 (6)
向かって右の門柱

高射砲3連隊門柱 (5)
左側の門柱 袖門の形が違う。

高射砲3連隊門柱
門柱のアップ

高射砲3連隊門柱 (2)
製作所の南にも門柱があるが、こちらには袖門はない。

高射砲3連隊門柱 (7)
門柱のアップ  正門の上部には3本の縦筋があるが、こちらは2本である。

高射砲3連隊門柱 (4)
さらに北側にも通用門と思われる門柱があったが、現在は消滅した可能性がある。(平成20年撮影)

高射砲第3連隊門柱の場所はこちら

篠山陸軍墓地

篠山城の西方、約600mに陸軍墓地がある。
この地に昭和18年、忠霊殿が建てられ、戦後、遺芳殿と改称された。

篠山陸軍墓地
陸軍墓地入口にある忠霊参道の石碑。ただし、これは戦後の昭和27年、講和発効記念に建てられた。

篠山陸軍墓地 (2)
陸軍墓地の門柱。建設時期不明であるが、忠霊殿が建てられてからは、正面にある階段を使ったと思われるので、それ以前の物ではないだろうか?

篠山陸軍墓地 (4)
付近には境界石がいくつか残っていて、

篠山陸軍墓地 (3)
陸軍用地と彫られている。

篠山陸軍墓地 (5)
忠魂碑 大正4年11月建立
この忠魂碑は、忠霊殿正面階段の登り口にあり、大正4年の時点ではこの階段は無かったと推測されるため、
後に移設されたの物ではないだろうか?

平成26年2月、あおさん様から以下のメールを頂きました。
1)当方が子供の頃(40年以上昔)はこの忠魂碑はなくて、その場所に噴水があった。
2)当方が子供の頃は篠山城天守台に大きな忠魂碑が建っていた。
3)篠山市の情報によると「篠山城の忠魂碑を城外移転した」とあります。(時期、移転先不明)
以上のことから陸軍墓地の忠魂碑は昭和40~50年頃に篠山城天守台から移設されたものと推測します。

この場を借りて、お礼申し上げます。

篠山陸軍墓地 (6)
忠霊殿、状態は良い。

篠山陸軍墓地 (7)
少数ではあるが、個人の墓石も残っている。
篠山陸軍墓地の場所はこちら

歩兵第70連隊 兵営内の遺構

歩兵第70連隊の兵営跡は、高校や警察署、民間会社の工場になっている。
このうち、三井ミーハナイト・メタル株式会社篠山工場内にはいくつかの遺構が残っている。
今回、篠山を訪ねるにあたって、事前に見学をお願いしたところ許可していただいた。

歩兵70 (10)
工場内に残るポプラ並木。連隊当時に植えられた物と言われている。

歩兵702棟残る、レンガ建の1つ。状態は良い。場所的には第7第8中隊兵舎裏付近だと思われる。

歩兵70 (2)内部の様子。当時のままではないだろうか?

歩兵70 (3)西側にもう1つのレンガ建と、当時の物と思われる防火用水槽がある。

歩兵70 (4)もう1つのレンガ建は、建物に囲まれていて全体を写す事が出来ない。

歩兵70 (5)一説には、火薬庫と言われている様だが、窓の数や大きさから、食堂または作業用の建物だったと推測する。

歩兵70 (6)内部の模様。屋根は変えられている。

歩兵70 (7)門と思われる石柱

歩兵70 (8)石柱付近には、コンクリート製の円卓と椅子の残骸が残っている。場所的には酒保があった付近であるので、酒保の遺構だと思われるが、連隊廃止後はこの地に兵庫県立農科大学(現、神戸大学農学部)が創立され、その後、三井ミーハナイト・メタル株式会社に払い下げられたために、詳細は不明である。

歩兵70 (9)この付近にも防火用水槽がある。

 歩70 第12回軍旗祭 最後に、前回紹介した、第12回軍旗祭の絵葉書で、歩兵第70連隊の兵営の模様を紹介したい。
(写真提供:tiger氏)

 歩70 第12回軍旗祭  (2)兵舎の様子が良く判る。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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