善通寺陸軍病院

国立病院機構 香川小児病院は善通寺陸軍病院跡地に建てられていた。
(国立病院機構香川小児病院は、四国こどもとおとなの医療センターとなり移転しています。)
敷地内には、いくつかの遺構が残っていたが、現在の状態は不明である。

善通寺陸軍病院 (4)
波線一本に排泥弁の文字が見える。 

善通寺陸軍病院 (2)
日露戦役紀念の花壇?

善通寺陸軍病院 (3)
善通寺陸軍病院の活躍に対する顕彰碑

善通寺陸軍病院 (5)
歌碑 詳細不明

善通寺陸軍病院
皇紀2600年紀念樹の碑

善通寺陸軍病院 (7)
右から「制水弁」と書かれている。これも、陸軍病院時代の物だろう。

善通寺陸軍病院 (6)
当時の物と思われる石垣

善通寺陸軍病院の場所はこちら
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野戦砲兵第11連隊 その3 武道場?

将校集会所の近くには武道場、もしくは演武場と思われる建物がある。

野砲11武道場 (3)
正面。付近の建物の関係で、撮影位置が限られる。

野砲11武道場
裏側を見る。

野砲11武道場 (4)
側面。武道場(演武場)で間違いないと思うのだが・・・

野戦砲兵第11連隊 その2 将校集会所

駐屯地内には野戦砲兵第11連隊将校集会所が残っている。この建物は連隊創設時の明治31年11月に建てられた。

山砲11将校集会所 (2)
将校集会所の正面を見る。残念ながら、周囲が木で囲まれているのと、当日は晴天で露出が明るい所に合っているためにとても見難い。

山砲11将校集会所 (5)
正面入口のアップ。改装などはほとんど無いと思われる。

山砲11将校集会所 (7)
窓は建て開きからサッシドアに変えられていて、上部が埋められている。

山砲11将校集会所 (4)
正面向かって右側面。窓の形はオリジナルである。

山砲11将校集会所 (6)
こちらは向かって左の側面。見た目は当時と変わらないのでは?

山砲11将校集会所 (9)
窓のひさしにも細工が施されている。

山砲11将校集会所 (8)
基礎部の通気口には☆マークが残る。

山砲11将校集会所 (3)
将校集会所の前に植えられている松は

山砲11将校集会所
梨本宮殿下御手植えの松である。大正12年5月21日と書かれている。

山砲11将校集会所 (10)
この将校集会所は、駐屯地外からも見える。

野戦砲兵第11連隊将校集会所の場所はこちら

野戦砲兵第11連隊 その1

陸上自衛隊善通寺駐屯地1キャンプと呼ばれている区域は、野戦砲兵(後に山砲兵)第11連隊の跡地であり、いくつかの遺構が残っている。
(ただし、基地開放などでも公開していなく特別に見学させていただいた。また、現状は不明であり、取り壊されている可能性もある。)
野戦砲兵第11連隊は、明治29年7月、広島で編成に着手し、善通寺に転営後の明治31年10月発足、明治36年に山砲兵連隊に改編された。
日露戦争では旅順攻略戦に参加後、奉天会戦にも参加、明治39年1月に凱旋する。
明治43年から2年半の間、満州駐箚。大正7年に野砲兵連隊に改編し大正9年シベリア出兵に参加する。
大正11年に凱旋し、再び山砲兵連隊に改編する。
昭和12年7月、日中戦争が始まると、8月に動員下令され、川沙口に敵前上陸を果たし、激戦死闘を繰り広げる。
12月に台湾に移動、広東攻略に備えるも作戦中止となり13年2月に帰国、同年9月、満州に派遣され以後、国境防備にあたる。
太平洋戦争末期の昭和19年2月、第3大隊をグァム島砲兵のために派遣するも、7月に米軍が上陸。奮闘むなしく玉砕する。
連隊主力は昭和20年4月、本土防衛のために郷土である四国に移動、高知で終戦を迎える。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

善通寺山砲連隊その1
駐屯地に入って最初に見える建物。

善通寺山砲連隊その1 (2)
詳細は不明だが、オリジナル度は極めて高いと思われる。

善通寺山砲連隊その1 (9)
見た直感では、居住施設に感じたが、砲具庫の可能性もある。

善通寺山砲連隊その1 (4)
駐屯地の外からも見える。

善通寺山砲連隊その1 (3)
馬功碑の台座部分のみが残るも、詳細不明。

善通寺山砲連隊その1 (7)
こちらは風化が激しく、また、記録をしなかったが、日露戦役出征紀念碑だったような・・・

善通寺山砲連隊その1 (5)
砲兵連隊碑 もちろん戦後の物である。

善通寺山砲連隊その1 (8)
離れた場所にあるが、駐屯地内には立哨小屋がある。この位置にあった物か、移設された物かは不明。

善通寺山砲連隊その1 (6)
弾薬庫だろうか?見た感じは古いのだが、戦後の物だろうか?

輜重兵第11連隊

輜重兵第11連隊は輜重兵第11大隊として、明治30年に広島で創設され、第11師団創設により善通寺に転営した。
初陣の日露戦争では、第3軍に属し、旅順攻略戦や奉天戦に参加し、感状を授与された。
日露戦争で輜重兵大隊が感状を受けたのは、この大隊のみである。
昭和7年の上海事変では、1個中隊を派出した。昭和11年に、大隊は連隊に昇格し、日中戦争では当初から上海戦に参加したが、昭和13年2月に帰還した。
しかし、同年9月に満州派遣を命じられ東満州の防衛に就いた。
それ以降は対ソ戦の訓練を行っていたが、昭和20年3月に本土決戦の為に四国に転用され終戦を迎えた。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)
輜重兵第11連隊兵営跡地は、善通寺駐屯地自動車教習所になっており、敷地内には連隊本部やレンガ倉庫が残っている。

輜重兵第11連隊 (3)
連隊本部 昭和16年築

輜重兵第11連隊 (5)
正面入り口のアップ

輜重兵第11連隊 (7)
連隊本部全景 木が邪魔であるが、仕方が無い・・・

輜重兵第11連隊
側面

輜重兵第11連隊 (11)
背面 建物自体はここから見るのが一番見やすい。

輜重兵第11連隊 (4)
倉庫と言われるレンガ建築 明治44年築

輜重兵第11連隊 (6)
南側から見る。

輜重兵第11連隊 (9)
輜重兵連隊であるので、馬具庫と推測するが如何であろうか?

輜重兵第11連隊 (10)
レンガ倉庫の全景

輜重兵第11連隊 (2)
入口に残る立哨小屋 オリジナルの場所か移設かは不明

輜重兵第11連隊 (8)
郵便局の敷地にある、輜重隊趾の碑

輜重兵第11連隊本部の場所はここ
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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