丸亀憲兵分遣隊

丸亀連隊兵営の北西、南条町には丸亀憲兵分遣隊が置かれていた。
跡地には分遣隊の物だと思われる塀が残されているが、詳細は不明。もちろん、違う可能性もあることを承知頂きたい。

丸亀憲兵隊 (1)
この塀を見た時、これは!と直感した。

丸亀憲兵隊 (2)
違う角度から見る。

丸亀憲兵隊 (3)
写真、向かって右は、戦後に増築されたと思われ、似た形状に造られているが、ブロック造りであることが明らかに分る。

丸亀憲兵隊 (5)
見難いが本来の塀は、写真左奥に続いている。警察呼ばれても困るので、これ以上は近付かない!

丸亀憲兵隊 (4)
塀の破壊面 鉄筋が入っている。

この塀が憲兵隊の物である確証を取るために、近くにいたお年寄りにお話を伺ったところ、
「そうそう、ここに憲兵隊があって、(路地の角を指さして)そこの角にいつも憲兵さんが立って見張っていたよ。」
更に、
「(近くの建物を指し)そこの建物が建っている場所は軍医さんの家で、演習がある時は馬に乗って出掛けて行ったよ。」とのこと。
「へぇ~、それを御覧になっていたんですか?」の問いに
「いやいや、さすがに僕は見てないよ!」
ええええ~~~~!!!!

丸亀憲兵分遣隊の物と思われる塀の場所はこちら
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丸亀城に残る境界石

香川県丸亀市丸亀城周辺には、歩兵第12連隊の兵営があったが、その遺構はほとんど残っていない。
最近、城内にある丸亀市立資料館に境界石がいくつか保存展示されているとの情報を得て、訪ねてみた。

丸亀城に残る境界石 (1)
資料館の外に移設展示されている石柱や標石

丸亀城に残る境界石 (2)
写真手前から、第10中隊の石碑

丸亀城に残る境界石 (3)
側面には、昭和8年兵満期者一同と書かれているので、昭和8年に徴兵され第10中隊に配属された人達が除隊記念に兵舎前に建てた物だと推測する。兵役延長がなければ、昭和10年頃に建てられた物であろう。

丸亀城に残る境界石 (4)
陸軍省所轄地 第廿四号 字の大きさや陸軍省所轄地を使っている事から初期の境界石と推測する。(根拠なし)
また、このブログは、いつもは漢数字をアラビア数字で記載しているのに、何でこれは廿四?的な指摘は無しで!

丸亀城に残る境界石 (5)
こちらも、陸軍省所轄地 第廿一号 
これは長尺の境界石である。字体などから第廿四号とほぼ同時期だと思われるが、境界石の大きさは設置場所により違うと推測する。(もちろん根拠なし)

丸亀城に残る境界石 (6)
3つの石柱を反対側から見る。

丸亀城に残る境界石 (7)
こちらは風化が激しい、陸軍省所轄地 第二七号
これらの記載は丸亀市立資料館の説明を参考にしている。第廿四号は廿四と記載されているのに、二七号は二七とされているのは時期的なものなのか、また、番号は続き番号なのか、それぞれの施設に番号が付されていて同じ番号があるのか、これらがどこにあったかは不明。

丸亀城に残る境界石 (9)
更に、丸亀市立資料館付近には石柱があり。
確認してみると、

丸亀城に残る境界石 (11)
陸軍用地だった!
連隊区司令部の物と思われる。
連隊区司令部跡地は公園になっており、当日は中学生の陸上部が練習をしていた。
それまでは練習をしていたのだが、写真を撮ろうと土堤を進んでいると、ちょうど休憩になったようで、上から「えっ、あの人何やってんの?(本当は香川弁)」的な事を、女子生徒達がヒソヒソ話しているのが上から思いっきり聞こえる!
恥ずかしかった・・・

丸亀城に残る境界石の場所はこちら

雲辺寺原陸軍演習場 展望台

更に、2つ目の観的所の北東約500mの位置に、展望台と言われる遺構がある。
ここは正確な位置情報が無いと絶対に行きつけない場所にあり、いつもの如く大日本者神國也さんを参考にさせていただいた。

雲辺寺観的3 (8)
山道をしばらく歩くと、やっと見える。

雲辺寺観的3 (1)
遺構に向かうが・・・
当日は最強寒波が猛威を振るい、連日氷点下を記録する中でもこの状態である・・・

雲辺寺観的3 (7)
藪漕ぎをして、やっと見える。

雲辺寺観的3 (2)
入口の様子

雲辺寺観的3 (6)
入口から内部を見る。

雲辺寺観的3 (4)
展望台内部左側の様子

雲辺寺観的3 (5)
展望台内部右側の様子

雲辺寺観的3 (3)
何かの土台と、木材が残る。当時の物だろうか?

雲辺寺原陸軍演習場展望台の行き方は大日本者神國也さんをご覧あれ

雲辺寺原陸軍演習場 監的所その2

前回紹介した監的所の北約1kmの地点にも監的所がある。
この監的所の場所は、大日本者神國也さんを参考にした。

雲辺寺原観的その2 (1)
車がやっと通れる道で、2つ目の監的所にたどり着いた。
許可を得て立ち入ってます。

雲辺寺原観的その2 (2)
アップ

雲辺寺原観的その2 (5)
向かって右の監視窓の下に出入り口があったようだが、倉庫と使う際、物の出し入れには小さかったのだろう、監視窓と一つにして大きくされている。

雲辺寺原観的その2 (6)
右方向から見る。山の斜面に造られているのが分かるだろう。

雲辺寺原観的その2 (3)
監視窓のアップ

雲辺寺原観的その2 (4)
内部の様子

雲辺寺原観的その2 (7)
上部を見る。

雲辺寺原観的その2 (8)
監的所上部から、監視窓が向いている方向を見る。本当に山しかない。

雲辺寺原陸軍演習場 監的所その2の場所はこちら

雲辺寺原陸軍演習場 監的所その1

香川県観音寺市には、雲辺寺原陸軍演習場の監的所が残っている。
雲辺寺原演習場は明治34年、第11師団の山砲射撃場となった。(案内板から抜粋)
案内板には雲辺寺ヶ原演習場と書かれているが、当時の文献には雲辺寺原と書かれているので、雲辺寺原演習場とする。
この遺構であるがグーグルマップにも載っているので、迷うことは無いだろう。

観音寺観的1 (1)
真正面から見る。正面から見た形状は、立野原演習場のメダマカンテッコーと似ている。

観音寺観的1 (2)
斜め前から見る。形状がよく判る。

観音寺観的1 (3)
正横から見る。

観音寺観的1 (5)
こちらは真後ろから。

観音寺観的1 (6)
内側から見た、監視窓の状態。

観音寺観的1 (7)
右斜め後方から見る。

観音寺観的1 (8)
コンクリートの厚さが判るだろう。

雲辺寺原演習場 監的所その1の場所はこちら
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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