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比治山陸軍墓地にある境界石

広島市南区にある比治山には、陸軍墓地がある。
広島には鎮台が置かれ、その隷下には明治9年の萩の乱に出動するなど、陸軍の中でも最古参である歩兵第11連隊があったが、比治山陸軍墓地は、広島鎮台が設置される前年の明治5年に造られている。(案内板より抜粋)
その、歴戦の勇者が眠る比治山陸軍墓地であるが、昭和19年、広島防衛のため高射砲陣地を造るために造成され、現在の墓地は墓石等を集めたものであり、本来の場所ではない。
ここを訪ねたのは平成25年であり、現状は分からない。

比治山陸軍墓地入り口 (1)
陸軍墓地の石柱
墨入れはされているが、字の感じから当時の物だと思う。
指差しがあるのは珍しいが

歩9 (8)
歩兵第9連隊のあった大津にも、指差しの石柱がある。

比治山陸軍墓地入り口 (2)
かなり風化しているが、陸軍墓地の文字か読める。
案内の石柱なのか、陸軍墓地の境界石なのかは分からないが、当時の物であることは間違いないだろう。

比治山陸軍墓地入り口 (3)
当時の物と思われる階段

比治山陸軍墓地入り口 (4)
付近にある境界石

比治山陸軍墓地入り口 (5)
波一線の下に71と書かれている。

比治山陸軍墓地入り口 (7)
陸軍墓地の碑
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Q基地・大浦突撃隊大迫支隊

広島県呉市にある倉橋島には、昭和19年4月に建設された「Q基地」と呼ばれる、特四式内火艇の訓練基地があった。
特四式内火艇とは水陸両用戦闘車両で、潜水艦に搭載し物資の運搬したり、魚雷を搭載し敵の泊地に侵入して敵艦を攻撃する用途で訓練を行っていたが、とても使える代物ではなく、その計画は中止となった。
代わりに当時大量生産していた特殊潜航艇の乗員を大量養成するため、対岸の大浦崎にあった特殊潜航艇訓練基地である「P基地」だけでは手狭になり、昭和20年3月、大浦突撃隊大迫支隊と名称を変え訓練生の宿舎として転用された。
今回も、奥本剛氏の著書「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック」を参考にさせていただいた。

大迫支隊 (3)
「特四式内火艇」の装気桟橋として使われたと言われる遺構

大迫支隊 (4)
アップで見る。

大迫支隊 (5)
反対から見る。

大迫支隊 (1)
突堤の近くには記念碑が建立されている。

大迫支隊 (6)
特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡碑

大迫支隊 (2)
建碑由来

呉海軍工廠兵器庫秋月火薬庫

広島県江田島市江田島町秋月にある、米陸軍秋月弾薬庫は、呉海軍工廠兵器庫秋月火薬庫を利用している。
今回も、奥本剛氏の著書「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック」を参考とさせて頂くと、
明治21年に海軍が土地を買収し火薬庫を設置したのが始まりで、その後は明治32年、大正2年、昭和16年と用地を拡大した。
戦後は敷地の北半分は返還されたが、南側は米陸軍が弾薬庫として使っている。
さて、この火薬庫、奥本氏の著書には「秋付火薬庫」と記載されているが、当時の文献を見ると、「秋月火薬庫」と「秋付火薬庫」の記載が見られる。これらが同一の物なのか、また、現存している施設がどちらの物なのかの判断がつかないが、現在使用している秋月として紹介する。

秋月火薬庫 (1)
江田島の小用港を出航すると秋月火薬庫が見える。

秋月火薬庫 (4)
火薬庫敷地の北(小用港)側

秋月火薬庫 (5)
さらに南には、

秋月火薬庫 (8)
トンネル式の格納庫がある。

秋月火薬庫 (6)
さらに南には弾丸庫があり、その北側に

秋月火薬庫 (10)
土堤で囲まれた建物がある。詳細は不明だが海軍時代の物の可能性もある。

秋月火薬庫 (11)
弾丸庫の南にも、土堤で囲まれた建物があるが、こちらも詳細不明

秋月火薬庫 (14)
弾丸庫

秋月火薬庫 (13)
弾丸庫のアップ。ペンキで白く塗られているが、レンガ造りである。170m程あるので、国内に残るレンガ建築では最大級ではないだろうか?

呉海軍工廠造船部 大麗女島工場

呉港の入り口には大麗女島(おおうるめじま)がある。

元々、大麗女島は燃料置場で、貯蓄用のトンネルが掘られていたが、戦争末期、このトンネルを改装、大麗女島工場と名付けられ特殊潜航艇「絞龍」建造した。(奥本剛氏の著書「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック」を参考)
現在は海上自衛隊の火薬庫になっているようで、一般人の立ち入りは禁じられているが、呉から江田島に向かうフェリーから見ることが出来る。
グーグルマップを見ると、島の西側は大麗女島海水浴場となっているが、船付き場が自衛隊施設内にしかないために、行くことは不可能と思われる。
また、無断で上陸した者が警備犬(シェパード)に襲われたとの話(都市伝説?)を聞いたことがあるので、間違っても上陸しようとは思わないでいただきたい。(シェパードに襲われなくても、不法侵入で捕まります。知らんけど)

大麗女島 (1)
大麗女島全景
船は車と違い、右側通行なので呉を出発するときの方が島の近くを航行する。

大麗女島 (5)
施設の様子

大麗女島 (7)
東側(呉側)、6本のトンネルが確認できる。  

大麗女島 (6)
西側に移動して見る。
真ん中に見える白い建物がポンプ室と思われ、その左にあるレンガ建ては危険物並運搬要具庫であろう。
また、レンガ建の奥には7本目のトンネルの上部が見える。

大麗女島 (4)
更に西に移動して見る。素掘りの壕があるのが分かる。

大麗女島 (3)
角度を変えて島の全景を見る。

海上自衛隊呉教育隊に残るレンガ建築

海上自衛隊呉教育隊は呉海兵団の跡地にあり、敷地内にはレンガ建築が残っている。
たまに海兵団と、海兵隊を混同している人がいるが、海兵団は新兵教育をする機関であり、現在は教育隊がその任を受け継いでおり、明治22年に呉海兵団が開設されて以来、この地は130年以上に亘り新人教育の地となっている。

 呉教育隊 (2)
堺川越しにレンガ建築を見る。
武器庫との記載もあるが詳細は不明である。ただ、建物の大きさや小型の窓があるだけなどから、弾薬庫や油脂庫の可能性もある。

 呉教育隊 (1)
角度を変えて建物の背面から見る。

呉海兵団レンガその2 (1)
更に川に沿って海側に進んで見る。

呉海兵団レンガその2 (2)
左側面を見る。
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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