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【コラム】第23回 さらば戦友よ!

愛用していたデジカメが壊れました。
全く使えないわけではないのですが、露出が壊れたみたいで暗くなることが多々あります。
せっかく遠くまで行っても、写真が上手く撮れてなかったらイヤなので買い替えることにしました。

それまでは乾電池式のデジカメを使ってました。
充電し忘れて電池が無くなって撮れなかった的な話を聞いたことが多くあったので、電池が切れても予備さえあれば使える乾電池式を愛用していました。予備を忘れてもすぐに買うことも出来ますので。

はっきり覚えてませんが、かなり前に充電式のデジカメを買いました。
お正月だったと思いますが、近くのショッピングプラザの写真屋さんに福袋的な感じで安く売っていたので、ダメ元で買ってみました。
使ってみると使い勝手が良かったです。前のカメラより広角でしたし。
電池も全く問題なかったです。
過去に電池が切れて写真が撮れなかったのは吉坂堡塁の時だけだったけど、それがこのカメラだったかは記憶がありません。

IMG_20181008_194950.jpg

このデジカメを持って多くの遺構を訪ねました。
今となっては戦友と言っても過言ではありません。
この写真を遺影として保存したいと思います。

遺影を抱いて俺は行く、守ってくれよ戦友よ♪
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横須賀海軍軍需部 光学兵器倉庫

以前に紹介した第3水雷庫のすぐ近くには、光学兵器倉庫が建っている。
関東大震災後の昭和3年築であり、第2計器庫と同じく、三角の部分は鱗状である。
大正末期から昭和初期の標準的な仕様なのかは不明だが、趣があり興味深い。

光学兵器倉庫 (2)
鉄筋コンクリート造りと思われる。

光学兵器倉庫 (1)
配管や電線、空調設備以外はオリジナルの外観ではないだろうか?

光学兵器倉庫 (4)
斜め前から見る。この倉庫も国有地になりフェンスで囲まれている。

光学兵器倉庫 (3)
側面を見る。

横須賀海軍軍需部 光学兵器倉庫の場所はこちら

横須賀海軍軍需部 第2計器庫 

JR田浦駅の北側(相模倉庫側)に降りて左に進むと自衛隊病院があり、病院入口付近には第2計器庫がある。
第2計器庫も前回紹介した第3水雷庫と同様、関東大震災以前の建物である。

田浦赤レンガ倉庫 (2)
自衛隊病院入口から見る。レンガ造りでよく目立つ。大正10年築

田浦赤レンガ倉庫 (3)
反対側から見る。現在も、自衛隊の倉庫として現役で使われている。

田浦赤レンガ倉庫 (4)
正面から見る。
上部の三角形の部分(検索すると、破風と書かれていたり、矢切と書かれていたり、妻と書かれていたりする。)が鱗状であり、趣がある。外観はあまり手を加えられていなく、オリジナル性が高いと思われたが・・・

田浦赤レンガ倉庫 (1)
残念なことに改装されて、鱗状だった三角形の部分が金属に替えられた。
いつ、改装されたかは定かではないが、平成18年8月に撮った写真(写真のプロパティなので間違っている可能性あり)は、もう替わっており、平成19年10月には、「この倉庫が残念な状態に改悪された」とSNSに書き込んでいるため、どんなに遅くとも、平成19年10月までには改装されたようだ。
現在も使用するために改装は仕方ないのだろうが、一番見たくない結果になってしまった。

田浦赤レンガ倉庫 (5)
反対側も同様に改装されている。

横須賀海軍軍需部 第2計器庫の場所はこちら

横須賀海軍軍需部 第3水雷庫

横須賀には古い旧軍遺構は少ない。これは大正12年に発生した関東大震災により被害を受けたからだ。
とは言え、震災前の建物も多少は残っている。この第3水雷庫もそのうちの1つである。

相模F倉庫 (5)
第3水雷庫  大正6年築

田浦F倉庫 (2)
レンガモルタル建てであり、基礎部はレンガである。

田浦F倉庫 (1)
側面を見る。

相模F倉庫 (6)
反対側(海側)から見る。塀も当時の物と推測する。

相模F倉庫 (1)
内部の様子 

相模F倉庫 (3)
写真は平成18年6月に訪ねた時、偶然に撮影しており、中を見せてもらった時の物である。

相模F倉庫 (4)
内部はレンガが剥き出しである。

相模F倉庫 (2)
梁も当時のままだと思われる。

相模F倉庫 (7)
夏場は蔦に覆われて見た目が全然違う。
また、この付近の倉庫であるが見ての通り、数年前から金網で囲まれ、国有地の看板が立てられている。近い将来、取り壊される可能性が高い。

横須賀海軍軍需部 第3水雷庫の場所はこちら

【コラム】第22回 史実を基にしたフィクション 

前回に続き、今回も読み物の話を。

今まで多くの史実を基にした小説が出版されていますが、それらが史実に忠実かと言えば、かなり違う様です。
今回は、新田次郎氏が執筆した「八甲田山 死の彷徨」を例に挙げたいと思います。

「八甲田山 死の彷徨」は、八甲田雪中行軍遭難事件を元に書かれ、「八甲田山」の題名で映画化されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
八甲田雪中行軍遭難事件は、日露戦争を目前にした明治35年1月、青森第5連隊の将兵210名中199名(94.8%)が死亡した事故であり、近代における世界最大級の山岳遭難事故です。

小説(映画)では、主人公的な2人の中隊長を中心に描かれています。
青森第5連隊の中隊長は北大路欣也さんが演じ、弘前第31連隊の中隊長は高倉健さんが演じました。
共に優秀な将校で、雪中行軍の責任者として計画を立てます。
最後まで指揮を任された弘前第31連隊の中隊長に対し、訓練のオブザーバーとして参加した大隊長に指揮権を奪われた青森第5連隊の中隊長は、猛吹雪の中、度重なる大隊長の命令の変更により部隊は全滅とも言える被害を受けてしまいます。

これにより、日本人的な考えから、上司がバカだから末端の者が被害を受ける、傲慢な上官の下でいつも苦しむのは下級者的な構図が出来上がり、理不尽な日本軍の象徴的事件として扱われている事もあるようですが、実際は違う様です。

傲慢に描かれていた三國連太郎さん演じる大隊長は、部下思いであり、何度も訓練を中止しようとしたそうです。しかし、下士官に猛反対され、押し切られるような形で、仕方なく訓練を継続したようです。
映画では大隊長と部下の狭間で苦しむ、北大路欣也さんが演じる中隊長は自信家だったとも。逆に、映画のハイライトシーンである、「天は我々を見放した」の言葉を聞いた部下たちは、心が折れてバタバタと倒れたと言われます。

対する、雪中行軍を成功に導いた、弘前第31連隊の中隊長は映画の中で、案内人に紳士的に対応し、最後には「捧げ銃」で謝意を表していましたが、実際には礼金を投げつける様に渡し、「この事を他の者に話したら、憲兵に捕まるぞ。」と脅し文句を吐いていたとか。

何でも信じたらダメなんだと思い知らされます。
プロフィール

kan

Author:kan
酒とミル貝刺と、ナマコ酢をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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