金沢偕行社

石川県立歴史博物館収蔵庫は、金沢偕行社である。
金沢偕行社は、明治31年に建築され、明治42年現在地に移築され戦後は、石川県庁舎石引分室として利用されてきた。平成19年からは石川県立歴史博物館の分室(収蔵庫)として外観のみ見学が可能となっている。

金沢偕行社 (5)
正面から見る。とても重厚な造りである。

金沢偕行社 (3)
朝は残念ながら逆光である。

金沢偕行社 (4)
横から見る。こちらから見ると造りがよく判る。

金沢偕行社 (7)
正面部分のアップ

金沢偕行社 (6)
更に、入口のアップ

金沢偕行社 (2)
通風孔には陸軍の象徴である☆がある。

金沢偕行社 (1)
休日の夕方に行くと、順光だけど駐車している車が多い・・・

金沢偕行社の場所はこちら
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海軍小勝島基地 防空機銃座

阿南市立ふるさと館には、海軍小勝島基地の防空機銃座が保存されている。
小勝島基地は戦争末期に造られた特攻基地だったようであるが、現在は火力発電所になっている。

小勝島 (2)
はい、行った時期が悪かったです・・・
何が何だか状態・・・

小勝島 (3)
機銃床

小勝島 (4)
即用弾薬庫
レンガで作られており、機銃床はコンクリート造り、即用弾薬庫はレンガ造り、機銃座は素掘りだったと想像する。

小勝島 (1)
案内板。最近まで残っていたようだ。

詳しいことはこちらを参照されたい。

名古屋海軍航空基地 地下戦闘指揮所

 いきなりだが、試験を受ける際、「大丈夫、大丈夫!あんな試験、勉強しなくても受かるよ!すごく簡単だから。」と言われていて舐めていたら、試験問題を見た瞬間「えっ!!!」と思ったり、「かなり難しいから、相当勉強しないと受からないよ!」と言われ、一生懸命勉強したら、「あれっ、過去問だけじゃん!」って経験はないだろうか?

 映画「八甲田山」をご覧になった方はご存じだろう。青森第5連隊の将兵が、事前訓練が平穏だったため、雪中行軍が温泉に行くための訓練と思われていて、宴会を楽しみにしていたが遭難してしまったことを!

あっ、前置きが長くなってしまいました・・・
実はこの指揮所は、ほぼ場所も特定できており、すぐに判ると思い込んでいた。
事前情報でも簡単な場所にあるとのことだったが、現地に行くと、想像以上の竹藪でまさかの退却・・・
しかも、場所が特定できず・・・帰りの時間も迫ってくる・・・
そこで、「大日本者神國也」の盡忠報國さんに助けてTELをし、無事、たどり着けた。基本、他力本願のkanでございます・・・
盡忠報國さん、ありがとうございました。
教訓、事前準備はしっかりと!

名古屋空指揮所 (1)
教えていただいた通りに進むと、発見!

名古屋空指揮所 (9)
こちら側には2室

名古屋空指揮所 (5)
向かいに1室ある。
この上部にある窪みに角材を入れ、その上に板を敷き、その上に土を盛るなどして隠匿していたと推測する。

名古屋空指揮所 (3)
一番最初に見えた室。

名古屋空指揮所 (2)
入口は四角であるが、内部は半円形である。

名古屋空指揮所 (4)
奥の室。

名古屋空追加
こちらも半円形であるが、奥行きがない。

名古屋空指揮所 (6)
向かいの部屋。

名古屋空指揮所 (8)
当時の鉄パイプだろうか?

名古屋空指揮所 (7)
内部は四角い箱型の部屋になっている。発電機室かと思ったが、指揮所と近すぎる。これでは排気や騒音など不具合がありそうである。

名古屋海軍航空基地 地下戦闘指揮所アクセスは、この付近からフェンスに沿って斜面を下り、2つ目の窪みにある。

名古屋海軍航空基地

愛知県豊田市には、海軍名古屋航空基地があった。
海軍名古屋航空基地は昭和14年に愛知時計の飛行場として建設されたが、昭和15年に海軍が買収した。
昭和16年にはし霞ヶ浦航空隊分遣隊が移住し、昭和17年4月に分遣隊は名古屋海軍航空隊として独立し、練習航空隊として操縦訓練を担当した。
昭和20年、この地で特別攻撃隊「草薙隊」が編成され、沖縄に出撃した。
現在は少年院や、住宅地になってしまったが僅かな遺構が残っている。

名古屋空その1 (8)
豊田市浄水場の北に門柱が片方だけ残っている。

名古屋空その1 (6)
形状はモダンと言うか、お洒落と言うか、軍隊の門としては変わった作りである。

名古屋空その1 (5)
表札を掛けていたフックが残っている。

名古屋空その1 (7)
後方から見る。

名古屋空その1 (1)
名古屋少年院の南にある開豊神社には、草薙隊之碑が建てられている。

名古屋空その1 (9)
碑のアップ
大切に管理されているのが判る。英霊も御喜びだろう!英霊に申し上げたい、「日本は平和です。安らかにお眠りくださいと。」

名古屋空その1 (2)
五省の碑

名古屋空その1 (3)
移設されたと思われる海軍の消火栓

名古屋空その1 (4)
消火栓と錨。錨については詳細不明。海軍の象徴として置かれているだけで、海軍とは関係ないと思われる。

名古屋海軍航空基地門柱の場所はこちら
草薙隊之碑の場所はこちら

陸軍清州飛行場作戦室

愛知県あま市石作には陸軍清洲飛行場の作戦室とも、戦闘指揮所とも言われる遺構が残っている。
清洲飛行場は、昭和19年3月に建設を発表、半年後に完成し10ヵ月で使命を終えた短命の飛行場である。
ただ、当時の新鋭飛行機であった五式戦闘機を装備した飛行第5戦隊が駐留したように、中部日本の防空の拠点となったようである。
終戦後は農地となったため、遺構は今回紹介する作戦室(戦闘指揮所)以外の遺構は残っていないようである。

清州飛行場 (1)
作戦室(戦闘指揮所)の遺構

清州飛行場 (3)
天井部分は抜け落ちてしまっている。

清州飛行場 (4)
コンクリートの厚さが判るだろう。

清州飛行場 (5)
出入り口

清州飛行場 (6)
北西側から見る。

清州飛行場 (7)
北側から見る。

清州飛行場 (2)
付近に残る、何かの基礎部。

清州飛行場戦闘指揮所の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。
最近は暇があれば、YouTubeで河合奈保子の動画を観ています。奈保子ちゃん本当に可愛いです!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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