【コラム】第15回 陸軍兵営を紹介する時のジレンマ

陸軍兵営を紹介する時には、あるジレンマに苛まれます。
陸軍の兵営、特に歩兵連隊は郷土部隊として親しまれたきました。
それらは、衛戍地名を冠して、高崎連隊や浜田連隊と呼ばれたり、麻布3連隊や京都9連隊のように衛戍地名と連隊番号を付して呼ばれていたり、戦争末期に作られた部隊は東部〇〇〇〇部隊と呼ばれたりもしますが、郷土連隊と呼ばれているのは、常設連隊であるように感じます。
ただ、大正14年の宇垣軍縮やで多くの部隊が削減されたり、昭和12年に日中戦争が始まって、常設連隊が出動した後に、削減された連隊が復活したり特設連隊が作られると残された兵営を使っています。

例を挙げると、
明治〇〇年、歩兵第○○連隊が新設され兵営の完成を待って、××に移駐
大正14年、宇垣軍縮により、歩兵第〇〇連隊廃止 △△から歩兵第△△連隊が移駐
昭和12年、日中戦争勃発で歩兵第△△連隊に動員下令、中国へ出動
昭和13年、歩兵第△△連隊留守隊を基幹として歩兵第△△△連隊
昭和〇〇年、歩兵第△△△連隊出動、歩兵第□□□連隊編成
昭和◎◎年、歩兵第□□□連隊出動、迫撃第●連隊の兵営となる。
昭和◇◇年、迫撃第●連隊出動、航空通信学校となる。
みたいな感じです。

ですから、兵営跡地に行くと下記の様にいろんな部隊の記念碑があることがあります。
篠山連隊跡地 (4)

篠山連隊跡地 (3)

歩兵36連隊 (7)
歩18 (9)

ですから、上記の例で言えば明治に作られた物であれば、歩兵第△△連隊門柱や、迫撃第●連隊兵舎と言っても、間違いではありませんが、昭和◎◎年に作られたものであれば、歩兵第△△△連隊兵舎と書けば間違いな訳です。
そこが難しいんですよね!

不動産登記簿には、土地登記簿と建物登記簿があるようですが、陸軍兵営の建物登記簿とかないのでしょうかね!
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陸軍軍医学校

靖国神社のすぐ北の千代田区富士見町には、陸軍軍医学校の物と言われる境界石が残っている。
陸軍軍医学校は明治19年陸軍省内に作られ、明治21年1月、この地に移転した。
しかし、関東大震災で大きな被害を受け、昭和4年に戸山に移転した。
私が所有する明治40年の麹町区の地図(復刻版のコピー)には、この境界石のある場所が軍医学校南東端になっている。

陸軍軍医学校 (3)
境界石 一部が砕けてしまい状態は悪い。
付近には朝鮮総連があり、警察が常時警備しているとの事前情報を得ていたのだが、実際に行くと物々しい雰囲気であり、職質されたらどうしよう?と不安を覚えた。

陸軍軍医学校 (1)
陸軍用地と書かれている。

陸軍軍医学校 (2)
頂部 +が書かれている。

陸軍軍医学校境界石の場所はこちら

上越市高田の陸軍跡地

米軍作成の地図を参考に、旧軍用地の跡地を探索してみた。
もしかしたら境界石などが残っているかもしれないが、見つけることは出来なかった。

歩兵第30連隊跡地
高田地図 (1)
跡地は学校や市営住宅になっており、遺構は残っていないようである。

高田その他 (5)
兵営の一角に記念碑がある。

射撃場
高田地図 (2)
上越高田インターチェンジになっており、射撃場としての区画は判らなかったが、川沿いに境界石が残っている可能性あり。(さっと見たところでは、見付けられなかった。)

練兵場
高田地図 (3)

高田その他 (1)
練兵場は水路(小川?)で民間地と隔てられてたと思われ

高田その他 (2)
南西端と思われる場所には石積みがある。(関係ない可能性あり)

高田その他 (3)
この水路が境界だと思われるが、住宅街にあり立ち入ることが出来なかった。

第13師団長官舎 その3 2階部分

前回に引き続き、第13師団長官舎の内部を紹介する。
今回は和式の2階部分である。

第13師団長官官舎 (18)
階段

第13師団長官官舎 (19)
踊場から2階を見る。

第13師団長官官舎 (28)
明り取りが星と月型になっており、それが障子に映っている。思わず「おぉ~!」と声を出してしまった。

第13師団長官官舎 (20)
階段上って左手の子供部屋

第13師団長官官舎 (21)
こちらも子供部屋と思われる上の写真、左にある部屋。

第13師団長官官舎 (22)
階段右手にある、一番奥の広間

第13師団長官官舎 (23)
真ん中の広間

第13師団長官官舎 (24)
階段上って右手、一番手前の和室

第13師団長官官舎 (26)
2階にもサンルームがある。

【コラム】第14回 兵営6点セット

日本各地の兵営跡地を訪ねる際、私は兵営6点セットと題して情報収集します。
6点セットとは、兵営、陸軍病院、陸軍墓地、射撃場、練兵場、そして憲兵隊です。
兵営所在地(衛戍地)には必ずこれらが有ったので、調べます。
これらの個人的な印象を述べます。

兵営
最初は兵営。まぁ、これがあるから他の施設もある訳ですし、兵営を誘致するために自治体が誘致合戦したりもあり、軍隊がいるだけで経済効果も大きかったようです。
兵営も完全に住宅地になってしまい、全く何も残っていない場所や、学校や企業になっていてほとんどそのまま残っている場所など様々です。
知らないで現地に行ったけど、裏門や通用門などを見付けた時の気分は何とも言えません。
記念碑的に門柱が残っていたり、移設保存されていることが多いですね。
もちろん、兵舎や司令部が残っている場所も多いです。

歩45 (11)
鹿児島

浜松兵営その1 (7)
浜松

5連隊本部庁舎 (5)
青森

歩40
鳥取

陸軍病院
兵営の近くには陸軍病院がありました。
殆どが戦後も地域医療の拠点である総合病院になっており、古い建物は建て替えられたり、広い場所に移転していることが多く、新しく移った場所を当時の場所だと思い込み、捜索する失敗もありました。
当時の場所にまだ病院がある場合は、記念碑などが残っていることが多いです。

善通寺陸軍病院
善通寺

陸軍墓地
陸軍墓地は、戦後(戦中の場合もあり)に納骨堂や忠霊塔に遺骨を移して、区画しか残ってない場合もありますが、当時のままに保存されている場合も多く、当時のままと思われる光景を目の当たりにすると、背筋が伸びます。
その様な場所には境界石が残っていることも多く、探索のし甲斐があります。

鳥取陸軍墓地 (9)
鳥取

篠山陸軍墓地 (7)
篠山

山口陸軍墓地その2 (10)
山口

射撃場
射撃場はそのまま残っていることは少なく(自衛隊の射撃場として受け継がれた物以外は)、境界石を探すのがメインになります。基本的には区画は残ってますが、住宅地になってますね。特に新興住宅地になっていると探せないですね。
でも意外と境界石が残ってたりするので、探索には外せません。

山口射撃場 (4)
山口

浜田射撃場 (2)
浜田

丸亀射撃場
丸亀

練兵場
住宅地になっていて何も残ってないですね。当時の練兵場がよくわかりませんが、原っぱですよね?
境界石が残っていれば御の字でしょうか?

憲兵隊
憲兵隊は結構残っているんですよ、特に塀や境界石が!
ただ、場所の特定が難しかったりするのがネックです。

浜松憲兵分隊
浜松

浜田憲兵分隊塀 (3)
浜田

奈良憲兵隊
奈良
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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