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航空自衛隊春日基地周辺に残る境界石

航空自衛隊春日基地周辺には陸軍の境界石が残っている。
この場所は昭和15年に小倉陸軍造兵廠春日製造所が置かれているので、この境界石であろう。
春日製造所は昭和15年に開設され、機砲を製造していた他、詳細は不明。
春日基地周辺しか捜索していないので、まだ他にも境界石が残っている可能性はある。

春日 (1)
最初に見つけた境界石

春日 (3)
2本目

春日 (2)
アップで見る。

春日 (4)
敷地の角に残る境界石。

春日 (5)
アップで見る。

春日 (6)
春日基地正門付近にも残っている。

春日 (7)
さらにもう一本

春日 (8)
この境界石は、今回の福岡訪問で唯一、アラビア数字で書かれているのが確認できた。

アラビア数字が確認できる境界石の場所はこちら
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久留米 謎の物件

今回訪ねた久留米で見付けた謎の物件を紹介する。

税務署門柱
久留米謎の物件 (4)
久留米税務署は第18師団司令部跡にあり、敷地内には当時の門柱が保存されているが、訪ねた時は閉庁日であり見ることが出来なかった。

久留米謎の物件 (3)
門柱のアップ
詳細は不明だが、この手の造りは昭和初期によく見られるような気がする。

境界石?久留米謎の物件 (5)
塀と電柱の間に境界石らしき物が埋まっている。

久留米謎の物件 (6)
それのアップ

18師団司令部 (5)
偕行社の境界石と石質は同じであり、陸軍の境界石である可能性が高いと思う。

退避壕?
久留米謎の物件 (2)
陸上自衛隊幹部候補生学校のある前川原駐屯地内にあり、周囲から見える。

久留米謎の物件 (1)
ただ、自衛隊の訓練用に造られた可能性が高いような気がするが・・・

【コラム】第39回 位置の局限

遺構探索をやっていて最も重要なのが場所の特定です。
インターネットで位置情報が公開されている遺構もありますが、概略の位置は分かるけどピンポイントで公開されていない遺構もあります。
山中の境界石などは無理ですが、住宅地に残る地下弾薬庫などは場所が特定できる場合もあります。
その遺構が残っている市町村名だけでは分かりませんが、〇〇飛行場の北西の住宅地に残る地下指揮所などの情報があると見付けやすくなります。
周りの景色から場所を特定するのですが、実際にその方法で遺構の場所を特定し行けたことがあります。
画像にはとても多くの情報があり、大雪の日に窓から撮った外の景色をSNSに載せたら自宅が特定されたとの話も聞いたことがあります。

さて、数か月前のテレビ番組で地方から上京してきた女性が、自分の住むアパートを探す企画を放送していました。
その女性は△△にある専門学校に通うため、近所の△△駅近くの物件を探しています。
最初は駅近くを探しますが、家賃の関係で断念し、徐々に遠くなっていきます。
酒を飲みつつインターネットをしながら観ていたので細くは見てませんが、決めたのは△△駅から徒歩21分の物件でした。
しかも、その物件のパンフレットには間取りや家賃、敷金礼金のほかに、△△駅から徒歩21分、××駅から徒歩25分、□□駅から徒歩30分と(時間は適当です)書かれていました。

これってGPSと同じなんです!
GPSは電波の到達時間で衛星との距離を計り、3つの衛星からの距離が交わったところを現在地としています。
不動産屋の駅から1分は80mだそうなので、△△駅から1680m、××駅から2000m、□□駅から2400mの距離が交わったところにその物件があるんですよ・・・
まぁ、直線じゃないかもしれないから多少の誤差は有っても、場所は特定出来ちゃいますね。
番組制作者はそんなこと考えないのですかね?

皆さん、情報発信の際は十分にお気をつけください。

久留米陸軍給水塔

久留米陸軍墓地をGoogleマップで調べていたら、旧陸軍給水塔の文字が!

久留米給水塔 (1)
詳細は不明だが、地下タンクもしくは貯水槽だと思われる。

久留米給水塔 (2)
アップで見る。

久留米給水塔 (3)
別角度から。

久留米給水塔 (4)
離れて全体を見る。

久留米給水塔 (5)
国道322号線からも見える。

久留米陸軍給水塔の場所はこちら

歩兵第48連隊

陸上自衛隊久留米駐屯地は、歩兵第48連隊兵営跡地にあり、連隊本部と武道場が残っている。

歩兵第48連隊は日清戦争後の軍拡により新設が決まり、福岡城内で編成に着手、明治30年4月、久留米の新兵営に転営した。
翌明治31年3月、宮中において軍旗を拝受する。
明治34年には土匪討伐の為に連隊の一部を台湾に派遣する。
明治36年、連隊は第12師団隷下から、第6師団隷下となる。
明治37年2月、日露開戦。連隊は5月に動員、6月に長崎を出航し清国に上陸する。
7月には蓋平の戦闘に、8月には遼陽会戦に参加する。特に遼陽会戦では、第2、第3大隊長が戦死、第7中隊は50名、第9中隊は40名、第10中隊は80名の戦力を残すのみとなった。
10月には沙河会戦、翌38年には奉天会戦と日露戦争の激戦を戦い抜き、翌39年3月、車に凱旋した。
明治40年、新設された第18師団隷下となる。
大正3年8月、第18師団に動員下令され、連隊は長崎から出航、青島攻略戦に参加。11月に青島陥落し、12月に連隊は凱旋。
大正14年、宇垣軍縮により第18師団が廃止となり、再び第12師団の隷下となる。
昭和7年、上海事変のため、混成第24旅団に1個大隊を派遣。2月7日、上海に上陸、3月25日凱旋する。
昭和11年4月、満州派遣が下令され博多港を出航、同月20日に満州国牡丹江省着、以後満州警備の任に就く。
昭和19年2月、第3大隊をヤップ島に派遣。12月、第12師団は南方転進の命を受ける。翌20年2月、台湾上陸。
以後は台湾防備にあたり、終戦を迎える。(ノーベル書房:わが聯隊より抜粋)

歩48 (11)
明治30年建築された連隊本部 現在は資料館として使われている。 

歩48 (9)
斜め前から見る。

歩48 (10)
本部庁舎正面 正面には入り口は無く、左右に入り口がある。

歩48 (8)
御成婚記念の碑 昭和天皇(当時皇太子)の御成婚を記念して建てられたが、詳細不明
隣は大正13年に皇太子御成婚記念で歩兵第48連隊将兵により植樹された桜を示す石碑で、昭和44年春に建てられたため、今上陛下となっている。

歩48 (7)
歩兵第48連隊址の碑

歩48 (6)
道路から反対側が見える。

歩48 (5)
角度を変えて見る。

歩48 (4)
武道場と言われる建物

歩48 (2)
背面は道路からよく見える。

歩48 (13)
駐屯地の南東にも当時の建物が残っている。久留米駐屯地資料館に展示されている史跡概見図に、この場所は歩兵第56連隊の兵営となっている。大正14年)5月、歩兵第56連隊は廃止となり、戦車第1大隊(後に連隊に昇格)が置かれた。
歩兵第56連隊時代に建てられた物と思われるが詳細不明

歩48 (1)
アップで見る。金網越しに撮ったので、ちゃんと写ったのはこれのみ・・・

歩兵第48連隊本部庁舎の場所はこちら
プロフィール

kan

Author:kan
酒とミル貝刺と、ナマコ酢をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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